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ダンスはうまく踊れない

 

 コリンズ氏や(中略)がさつなソープが、いかにダンスが下手かという点にご注目いただきたい。彼らがうまく踊れないのは相手の必要性に自分を合わせることができない証拠である。

 

  ― アーザル・ナフィーシー 『テヘランでロリータを読む』 (市川恵理 訳) ―

 

 
 ダンスと言えば、こんなことを書いてある本がありました。
 もう何年も前のことで、今は人にあげて手元に無いのであんまり確かなことは言えませんが、これは、イスラム革命が進んだイランで、女性たちばかりで隠れて英語の小説の読書会をしていたことを書いた本の中の言葉です。
 題名は『テヘランでロリータを読む』ですが、彼女たちは別に『ロリータ』だけを読んでいたのではありません。
 まあ『ロリータ』についての評言も、
 ふーん、女の人というのはそんなふうにあの小説を読むのか
と、なかなかおもしろかったのですが、ここに出てくるコリンズ氏やソープというのは、オースティンの『高慢と偏見』の登場人物です。
 たしかに、あの小説はやたらにダンスの場面が出て来るのですが、もちろん私はダンスの上手下手がまさか「人格」の反映だなんて思いもしないで読んでいたので、
  なあるほどぉ。おなごはダンスで人を見抜くのかぁ。
と感心してノートに書き写したのでしょう。
 だからと言って、ダンスを上手くなろうと思ったわけではありませんが。

 ノートの引用は次にこう書いてありましした。

 オースティンの小説で、もっとも思いやりに欠ける人物が、他者と真の会話が出来ない人々であるのは偶然ではない。彼らはわめき、説教し、叱るしか能がない。人と本当の対話ができないということは、寛容に欠け、内省、共感する能力がないということだ。

 たぶん、これを写したのは
  「わめき、説教し、叱るしか能がない」
ってところが、たぶん私の心にグサリと来たからなんでしょうな、きっと。
 わしのことだわ
と思ったんでしょう。
 まあ、いくらなんでも、これでもコリンズ氏よりはましな人間だ、とは自分では思っているんですが、あやふいものです。
 私も、陽水の歌なんて歌ってないで、ダンスを習わなくてはいけないのかもしれません。

  


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