《徒然草》 第二十六段
風も吹きあへずうつろふ人の心の花に、なれにし年月を思へば、あはれと聞きし言の葉ごとにわすれぬものから、わが世の外(ほか)になりゆくならひこそ、なき人の別れよりもまさりて、悲しきものなれ。
されば、白き糸の染まんことをかなしび,路のちまたのわかれんことを歎く人もありけんかし。
堀川院の百首の歌の中に
むかし見し妹が垣根は荒れにけりつばなまじりの菫(すみれ)のみして
さびしきけしき、さること侍りけん。
桜の花さえ風によって散っていくというのに、風に吹かれもせぬうちに、花が散るよりはやく、うつろいかわってゆくのが人の心の花ではあるけれど、そんな頼りない人の心をあてにして、人を愛し、その人に慣れ親しんでいた年月のことを思うと、自分の方は、そのころしみじみとした思いで聞いた言葉の一言一句はまだ忘れずいるのに、その人が、いつのまにか自分とはちがう世界の人になっていってしまうという、この世のならいというものは、亡くなった人との別れよりも、ずっと悲しいものです。
だからこそ、白い糸を目にしただけで、その糸がいつまでも白いままではいられず、いつか黄や黒に染まってしまうことを悲しんだり、わかれ道を見ただけで、いつかは別れなければならぬ人というものの運命を思って嘆いた人が昔はいたのでしょうね。
そういえば、堀川院の百首の歌の中に
むかし見し妹が垣根は荒れにけり つばなまじりの菫のみして
(むかし愛し合った女の住んでいた家の垣根は すっかり荒れてしまいました
そこに いまは白い茅花にまじってちいさな菫が咲いているだけです)
という歌がありました。
さびしい景色ですが、そんなことが実際きっとあったのでしょう。
///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
兼好がここで引用している堀川院百首の中にある藤原公実(きんざね)の
むかし見し妹が垣根は荒れにけりつばなまじりの菫のみして
という歌が、はたして秀歌であるのかどうか、私にはよくわかりません。
どちらかといえば、ほとんど、ただ歌、じゃねえか、ともおもえますが、兼好がこれをことさらに引用し
さびしきけしき、さること侍りけん。
と感慨をこめて書いているのを読むと、むしろ、兼好自身の若い頃にこそ、この歌に、思わず自身が反応してしまうような
「そのような経験があったのでしょう」
と思われてきます。
(兼好氏も隅に置けません)
ところで、高校に入って、古文を正式に習い始めた時、私の最も驚いたことの一つは「みる」とか「あふ」とかいうの動詞に《男女の交わりを持つ》という意味があるということでした。
ですから、たとえば、
あひみての後のこころにくらぶれば昔はものを思はざりけり
という百人一首の歌を、中学時代は、これは一目ぼれの歌なんだろう、と思っていましたが、もちろん、実際は
《あなたと男女としての一夜を過ごしたあとの、この今の思いに比べれば、昔、あなたに会いたい会いたいと思い苦しみ、これが戀というものだろう、なんて思っていたのは、《もの思い》のうちにも入らないものでした。それほどまでに、今はあなたのことがいとしくて恋しくて、会いたくてたまりません。》
というような歌意になります。
(まあ、高校生では、そんなもんかなあ、と何の実感もありませんでしたが)
というわけで、この歌に出てくる「むかし見し妹」というのも、
「昔会って好意を抱いたひと」
ではなく、当然
「昔、たがいに愛し合った恋人」
でなければなりません。
その通っていたところに、もう彼女はいなくなり、その家は荒れ果ててしまった、というわけです。
ところで、この歌、菫は、春、ちょうど今頃咲くものですが、つばなは初夏、五月の声を聞かないと穂を出しませんので、どうも実景としてはあり得ないもののような気もしますが、むしろ、かつての恋人が住んでいた家の荒れはてた垣根に白い茅(ちがや)の穂がさびしく風に揺れている中に、あるとも思わなかった咲きおくれた菫を一輪見つけて、そこに恋人の面影を見る、というのであれば、これは、たしかに
さびしきけしき、さること侍りけん
なのかもしれません。