正義
正義。力。
正しいものに従うのは、正しいことであり、最も強いものに従うのは、必然のことである。
力のない正義は無力であり、正義のない力は圧政的である。
力のない正義は反対される。なぜなら、悪いやつがいつもいるからである。正義のない力は非難される。したがって、正義と力とをいっしょにおかなければならない。そのためには、正しいものが強いか、強いものが正しくなければならない。
正義は議論の種になる。力は非常にはっきりしていて、論議無用である。そのために、人は正義に力を与えることができなかった。なぜなら、力が正義に反対して、それは正しくなく、正しいのは自分だと言ったからである。
このようにして人は、正しいものを強くできなかったので、強いものを正しいとしたのである。
― パスカル 「パンセ」 298 (前田陽一 訳)―
夕刊によれば、イスラエルのネタニヤフ首相がアメリカの議会で演説したそうである。
そこでオバマ大統領のイラン政策はまちがっている、と言ったそうである。
オバマは、その演説をくさし、ネタニヤフとは会わないそうである。
中東における「正義」とはいつだってイスラエルが言う「正義」だった。
イスラエルの建国以来ずっと、そうであった。
それはイスラエルに「力」があるからである。
パスカルが言う通り
正義は議論の種になるが、力は非常にはっきりしていて、論議無用である
からである。
4次にわたる中東戦争は、すべてイスラエルが勝った。
だからイスラエルが「正義」である。
その「正しい」イスラエルがどんなにパレスチナ人に理不尽を重ねようと、イスラエルをアメリカは安保理の拒否権を使って支えてきた。
そのイスラエルにアメリカの大統領が不快感をあからさまに示しているのを見るのは不思議な気がする。
今の「イスラム国」を含め、あらゆる中東問題は、イスラエルを「正しい」とすることに、その根を発しているだろう。
そして、それを「正しい」としたのは、かつて中東を植民地としていた英仏だったし、今はアメリカだ。
それは英仏や米が言うことが「正しい」からではなく、それらの国が強かったからだし、強いからだ。
今その「力」が揺らいできたということなのだろうか。
ところで、強いものが「正しい」のは、今の日本で、自民党が「強い」ので自民党の言うことが「正しい」、ということになっていることにも通じている。
そして
正義のない力は圧政的である
こと、パレスチナ・ガザ地区に対するイスラエル、沖縄に対する日本政府のやりようを見ればわかる。