泥濘
春泥を来て大いなる靴となり 泰
昼過ぎ、幕張の古本屋でものぞいて来ようかと畑の中の道を歩いた。
空は真っ青に晴れているが寒い。
それでも、明るいお日さまに霜柱が溶けたのか、幕張に抜ける細い畔道は地面がずいぶんぬかるんでいる。
でも、ここまで来たら、道はこれしかない。
戻るのは面倒だ。
すべらぬようにと下ばかり見て歩く。
それでもすべる。
手を広げ、バランスをとりながら、ゆっくりゆっくり歩く私の靴は、いつのまにか底にも脇にもたくさん泥がついてたいそう重くなった。
まるで、昔、狼騎宗匠の部屋にあった鉄下駄みたいだ。
そういえば、この国も、昔しみ込んだ何かがとけだしてきたらしく、ずいぶんぬかるんできている。
そんなぬかるむ道は歩きたくないと思っても、
「この道しかない!」
と先を歩いている者に言われるから、みんなそうなのかなあと思って、ついて行くらしい。
――あるいは何も考えずに。
みんな、遠くに目をやることをやめて、すべらぬように足もとばかり見て歩いて行く。
なにしろ、すべったりころんだりするのはみんな《自己責任》なのだ。
けれど、そうやって足もとばかりを見て歩いているうちに、たくさんの泥が底にまとわりついて、歩いている私たちの靴はもうこんなに重い。
(これから、もっと重くなるのかしら)。
七十年、埃を払い、埃を払い、磨いてきた靴の革も、やがてこの泥できたなくなっているだろう。
それでも、前を歩いている人は、得意げにこう言うのだ。
「ほら、「この道」を歩いたおかげで、私たちの靴こんなに大きくなって、見てごらんなさい、靴跡だってあんなに立派になって残ってますよ!」