「春の湯」 司さん
春の湯や肩までつかれと父の言い
五、六歳の頃、たまに父親に銭湯に連れていってもらった。
一緒に湯舟につかると、その頃は銭湯も人がいっぱいいて、父親とくっつくようになり、顔から煙草の臭いがした。
今でも自分の部屋に入る時、煙草の臭いがして、あの銭湯を思い出す。
あの頃は親父の休みは盆と正月ぐらいで、朝も早く夜も遅かった。
たまに早く帰って来た時、銭湯に連れていってくれたのだ。
今、休みの日には三回入るほど私は風呂好きだ。
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おたよりありがとうございます。
司氏の文章を読んで私も父のことを思い出してしまいました。
当時の私にとっても、風呂というのは銭湯のことでした。
そして小学生の頃、銭湯には父と同じように母にも連れていかれたはずなのに、思い出してみれば司氏同様、鮮明に覚えているのは父親との映像ばかりです。
(単に、女湯に入ったのが低学年の頃だけだったから覚えていないのでしょうか)
その日焼けした大きな背中とか筋肉とか、あるいは風呂上りに飲ましてもらった牛乳がおいしかったこととか。
(そういえば、あのころ銭湯の壁には、いつも寺町シネマパレスやら金沢東映やらの映画館のポスターがかかっていましたな)
ところで、人は「なつかしい」という言葉を、たぶん、人は自分の母親に対しては使わないのではないでしょうか。
母親というものはなつかしくない。
すくなくともそれはなつかしがる対象ではない。
それをなつかしがる以前に、母親というものは、思っただけでもうすでにそこにいる存在です。
たとえ、亡くなったあとでさえ。
けれども、父親はなつかしい。
なぜ「なつかしい」のかはわかりませんが。
というわけで、今、岩波の古語辞典の「なつかし」の項を引いてみると、こう書いてありました。
《動詞 ナツキ(なつく)の形容詞形。
相手が気に入って密着していたいと思う意。》
① そばについていたい。離れがたい。
② 昔のことが思い出されて慕わしい。
現代ではむろん「なつかしい」は②の意味でしか使いませんが、日本語本来の意味において、「なつかしい」という感情の本質を問えば、たぶん
《その対象と一体になりたいけれどそうすることができないものに対する慕わしさ》
ということになるのでしょう。
だとすれば、同じ親でありながら、どんなにやさしい父親であっても、母親とはちがって父親というものが子に対してその本質として持たざるをえない一種の《遠さ》があって、それがかえって父親をなつかしくさせているのかもしれません。
――なつきたいけれど、どこか、なつけない
そんな《遠さ》が、子ども時代においてさえすでに父親というものを「なつかしい」存在にしているのかもしれないと思ったりします。
子どもの頃、母親と遊んだ記憶よりも、父親が遊んだ記憶の方が鮮明で、なおかつうれしかったのは、子どもというものが、父親のことをまさに「そばにいたい。離れがたい」と思っているのに、ふだんはそうでないだけに、たまに遊んでくれる父親をますます「なつかし」き存在と思ったからなのかもしれません。
(もちろん、それは私たちが「男の子」だったからなのかもしれませんが)
父親はなつかしい。
そして、そのなつかしさのもっともいきいきしたもののひとつが、まちがいなく銭湯での父親との触れあいであるのは、風呂こそが、子供時代のもっともなつきたい相手ともっとも「密着」していた記憶としてあるからなのかもしれないと思ったりしました。
すてぱん