冬
夜 わたしの想いの
半球に 青白くひらめくものは
蝸牛(かたつむり)の這うあとに似て 真珠のいろにひかる
― エウジェニオ・モンターレ 「小さな遺書」―(須賀敦子『イタリアの詩人たち』)―
これまで鳴き声だけが聞こえて姿が見えなかった鳥たちがすっかり葉を落とした木々の枝にとまっているのがよく見える。
そうか、それが冬だということなのか!
そう思ったが、その主語が何なのかよくわからない。
木々が葉を落とした、というのは「季節」のことなのか、「時代」のことなのか、それとも、「私」のことなのか。
これは英語のようにItではじめるのが正しいのだろうか。
It is winter.
そんなことを言っても何も言ったことにはならないが、このごろ鳴いている鳥たちの姿がよく見えるようになった。
葉が落ちたのだ。
今の時代を吹く、一見柔かに見えて冷たい風がゆたかに茂っていた緑の葉を落としてしまったからだろうか。
それとも、若い頃わたしの目を覆っていた余計な葉っぱが年とともになくなったせいだろうか。
ともかく、かつては声だけが聞こえて、緑の茂みの中にその姿を見ることができなかった鳥たちが今はよく見える。
あんな鳥だったのか!
だが、それが見えたからと言って、私がその鳥たちを自分の手に掴まえることはできはしないのだが。