勇気
薔薇は闇の中で
まっくろに見えるだけだ、
もし陽がいっぺんに射したら
薔薇色であったことを証明するだろう
― 小熊秀雄 「馬車出発の歌」―
朝の5時50分。
冬の陽はまだ昇っていない。
窓を開けると、まだ暗い南の空に上弦の月が光っていた。
月のほかは皆まっくろだ。
そういえばこんな詩があった。
こんな詩人がいた。
いまは誰も読まないのだろうか。
いまこそ時代は彼の時代なのに。
小熊秀雄。
1901年に小樽に生まれ、1940年に東京で死んだ。
プロレタリア文学運動弾圧の中、とてつもないエネルギーで詩を書いた。
詩を書いて、詩を書いて、書いて、書いて、書きまくって死んだ。
その言葉は率直だ。
難解さや気どりなどどこにもない。
そのリズムはたたみこむように読む者の胸に入り込んで来る。
言えば、彼はずっと「青年」だった。
かけ声をもって
幾度勝利を約束し
幾度敗北したことであろう、
それでいいのだ、
その為めにこそ
これら勝敗のめまぐるしさにこそ
私は生き抜くことに愛着をおぼえる、
その繰り返しのために――、
飾りたてた言葉をふりかざして
高らかに私は叫ぶ
愚鈍であった今日一日の
生活のために唾をひっかける、
率直であり、聡明であった日のために祝う
(「私は接近する」)
たたかうとはどういうことであるか。
「敗北」に対して「率直であり、聡明で」あることこそ彼が自分に課した格律であり勇気だった。
そして、それは私たちもまたそうでなければならないだろう。
私はしゃべる、
若い詩人よ、君もしゃべくり捲くれ、
我々は、だまっているものを
黙殺して行進していい、
気取った詩人よ、、
また見当ちがいの批評家よ、
君はなんだ―――、
君は舌足らずではないか、
私は同じことを
二度繰り返すことを怖れる、
おしゃべりとは、それを二度三度
四度と繰り返すことを云うのだ、
(「しゃべくり捲くれ」)
時代はいつも、同じことを「二度三度四度繰り返す」おしゃべりな者たちが幅を利かせるものだ。
そしておしゃべりな者たちはいつも自らの「敗北」に対して「率直」でもなく「聡明」でもない者たちだ。
70年前の敗北にすら率直になれない者たちがつるみ、群れ、幅を利かせる時代。
小熊秀雄の詩集は岩波文庫から出ている。
編者は昨年亡くなった岩田宏氏だ。