満月
無知から素朴さはうまれはしない。ほんとうの素朴さは――そうしてまた、ほんとうの謙虚さは、知識の限界をきわめることによってうまれてくる。それは、ほんとうの闘争が一見平和に見えるようなものだ。
― 花田清輝 「復興期の精神」―
まんまるなお月さまが東の空からのぼってきた。
年末来の寒さのゆるんだ夕暮れ、夏のそれよりもすこし北寄りの東の空に、今年最初の満月を、買い物の帰りに見つけてなんだかうれしくなった。
天体といえば、花田清輝はコペルニクスを論じた「天球図」の最後に、今日引用したような言葉を書きつけている。
論の中で彼はこう書いている。
コペルニクス的転向は颯爽としているかもしれないが、コペルニクス自身はいささかも颯爽としていなかった。(中略)。
ドラマを好む伝記作者にとって不幸なことに、コペルニクスは冷静であり、慎重であり、時として曖昧ですらあった。そうして、異端開祖流の不敵さをしめすでもなく、したがって一度も火刑台の焔におびやかされることもなく、悠々自適、平穏無事な七十年の生涯を送ったのだ。にもかかわらず、かれは文字どおり回天の事業をなしとげ、同時代人の夢想だにしなかった転向を実現した。闘争をしているともみえなかった人間が、実はもっとも大きな闘争をしていたのだ。
と。
おだやかな冬の満月を見た夜、そんな言葉を読み返していた。