ヘンテコリンな交響曲
同じ音楽をきいても、十八歳の青年は世界的な事件をききだすが、成年はただ地方的な出来事しか思わない。
― シューマン 「音楽と音楽家」(吉田秀和 訳)―
阪神が巨人に4タテをくらわしたあくる日の日曜の夜、金沢、司邸で祝賀会が盛り上がっていた頃、教育テレビの「クラシック音楽館」では、ブロムシュテットの指揮するN響がモーツァルトの41番の「ジュピター」交響曲と チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」を演奏しておりました。
「クラシック音楽館」では、先々週モーツァルトの39番とチャイコフスキーの4番を、先週は40番と5番の交響曲を流していて、今週はたまたま、二人の最後の交響曲を並べ演奏する日に当たっていたわけです。
とはいえ、私としては、よりによって阪神のあの「歴史的」大勝利の翌日にチャイコフスキーの「悲愴」を聴くことになにやら不思議な暗号めいたものを感じてなんだか笑ってしまったのでした。
それというのもチャイコフスキーの「悲愴」という交響曲はなんともヘンテコリンな交響曲だからです。
どうヘンテコリンかと言うと・・・・
と、まあ、わたしに音楽のウンチクなんぞを語る資格はありはしないんだが、それでもあんまりクラシックに詳しくない人のために書いておけば、一応交響曲というのは基本的には4つの楽章に分かれておるわけです。
で、たいていの交響曲は、その第4楽章の最後にクライマックスがやって来て、まあ、オーケストラのすべての楽器が鳴り響き、これでもか、これでもか、って具合に盛り上がって、それでもって、高揚の極みで、ピタリ、と終わる。
まあ、歌舞伎で言うたら、千両役者のミエみたいなもんですな。
するってえと、観衆の方も、待ってましたとばかりに「ブラヴォー!」なんて叫びながら一斉にパチパチ拍手をするわけです。
ところがですな、この「悲愴」交響曲はちがうんですな。
なんと、クライマックスが第三楽章に来てしまうんです!
この第三楽章というのは、軍隊が勝利に向かっていかにも軽い足取りで行進しているみたいな感じで始まる。
それがどんどん盛り上がって行く。
むろん聴いてる方の気持も高揚してくるわけです。
金管は元気よく鳴り響き、シンバルが加わり、ワーッと盛り上がりに盛り上がって、ピタリと終わる。
昔、習志野交響楽団の「悲愴」の演奏会を聞きに行ったとき、この三楽章が終わったところで拍手してしまった人が何人かおられた。
「わかるよ、わかる!」
と私、思わず同情申し上げた。
だれだって、ここで拍手、と思ってしまう。
別に習志野市民が、もの知らず、ってわけじゃない。
昔TVで観た海外の演奏会でもやっぱり手を叩く人がいた。
それぐらい、この曲はここでその頂点に達するわけです。
誰だって、思わず手を叩きたくなる。
私だって、この曲を初めて聴いたときはそう思ったし、聴きなれた今でも、やっぱりそう思う。
そんな終わり方をするんですよ、この第三楽章は。
絶対、手を叩きたくなる。
ところがですな、曲は続くんですよ。
ヨワッタもんですな。
そうか、第4楽章ってぇのがあったんだった、と聞く方は気を取り直して耳を澄ますわけです。
それがまあ、なんとも暗い音楽なんです。
音が下降していくんですな。
気が滅入ってくる。
そして、音がどんどん小さくなっていく。
と思っているうちにいつのまにか音が消える。
あれ、どうしたんだろう。
指揮者が固まってるぞ。
次、バーンと大仰に楽器が鳴ってフィナーレかしら。
なんて思ってると、指揮者がやおらその緊張を解くので、
おやまあ、これで終りなのかい、
ほんとうに終わったのかい、
ってな感じで聴衆はまばらに手を叩きはじめる。
・・・ってな音楽なんですよ、この「悲愴」という交響曲は。
さて、どうでしょう、これ。
なんだか、こないだの阪神に似てませんか。
あの日、その名も「クライマックス・シリーズ」と銘打たれたその第二ステージで、阪神はまさしく
「参った、と言え!」
とばかりに読売に圧倒的4タテを食らわせました。
われら阪神ファンにはこれ以上ないクライマックスです。
もう、ファンたる者、ここで快哉の叫びを上げなくてどこで上げろと言うんじゃい!ってな場面です。
ところが、実は、これ、今シーズンの、ペナントレース、第一ステージに続くところのあくまでも「第三楽章」だったんですな。
ですから、敵地東京ドームで、今まさに、ざまあ見やがれ!の胴上げが始まるんだろうと大方のファンは思っていたのに、勝利を待つベンチの中にはなんの興奮もなく、試合後も、首脳陣はまったく緊張の面持ちを解かぬまま、ベンチを出てきた。
いやはやいやはや、なんとも印象に残る不思議な勝利の光景でした。
「あのう・・・、実は曲はこれで終わりではなく第4楽章の「日本シリーズ」っていうのもあるんです」
ってことなんでしょうな。
でも、これ、ファンから言えば、心からの「ぶらヴぉー!」を叫びたいのに、叫べない。
まるで「悲愴」交響曲みたいですな。
まあ、正直言って、「悲愴」の第四楽章がどうでもいいように、別に日本シリーズに勝とうが負けようが、私、どっちでもいいんですけどね。
第四楽章なんて要らないやい!
巨人に4タテ!
これで十分!
ざまあみろ!
今年はいい年だった!!
ほかに、なーんにも要らないぞぉ!
って感じですな。
でも、どうやら、あの雰囲気から言うと、阪神は本気で日本シリーズも取りに行くらしいですな。
やっぱ、ファンたるもの、応援しないわけにはいかないんでしょうな。