夢にもひとにあはぬなりけり
恋しくは夢にも人をみるべきに窓うつ雨に目をさましつつ
藤原高遠
― 塚本邦夫 「清唱千首」―
夜来の雨、朝まで。
というわけで、こんな歌。
ほんとうに恋しいのなら夢にでもあの人と逢えるはずなのに
夜来の雨の音に目を覚ましてばかりで夢さえ見ることができません
といったところでしょうか。
恋の歌にしては淡々としていますな。
むしろ自分の中で恋い慕うべき人が消えつつあることへのあきらめに似たおだやかな自嘲の気配すら致します。
しかし、そこがかえってなかなかあじわいぶかい。
この歌、前書きに「文集の蕭々暗雨打窓聲といふ心をよめる」とあります。
さきほど白居易の当該の新楽府「上陽白髪人」を開いてみましたら、詩は後宮に入って一度も帝に幸せられることなく年老いた女を歌ったものでした。
くだんの詩句は
夜長くして寐(い)ぬる無く天明けず
耿耿(こうこう)たる残燈 壁に背く影
蕭蕭(しょうじょう)たる暗雨 窓を打つ聲
と言葉が連なってあるところにありましたが、その「耿耿残燈背壁影」という詩句にもこの藤原高遠は歌を付けております。
ともしびの火影(ほかげ)に通ふ身を見ればあるかなきかの世にこそありけれ
これも実になかなかよい歌です。
ちなみに作者高遠氏は管弦にもすぐれ、一条天皇(紫式部や清少納言のころの天皇)の笛の師匠だったそうです。