壇の浦
芳一は進んでかう訊ねた――
「物語の全部は一寸語れませぬが、何(ど)の條下(くだり)を語れいふ殿様の御所望で御座いますか?」
女の聲は答へた――
「壇の浦の戦(いくさ)の話をお語りなされ――その一條下(ひとくだり)が一番哀れの深い処で御座いますから」
― 小泉八雲 「耳無芳一の話」―
今週号の Mainichi Weekly の「らくらく読破!英語ノベル」というページにラフカディオ・ハーンの「むじな」が載っていた。
「旦那が見たというはこんな顔でしたかい?」
と屋台の蕎麦屋の親父が顔を撫でてみせる、例ののっぺらぼーの話である。
「らくらく読破!」って銘打ってあるくらいだから、むろん、原文をそのまま載せてあるわけではない。
中学生でも読める ようなやさしい英語に書きかえてある。
そして、これと同じようなダイジェストが、昔、わたしらが中学生だった時の英語の教科書にも載っていた。
というわけで、なんだか懐かしくなって、午後から奥付に
昭和三十九年七月二十日 二十五刷
とある古い新潮文庫(定価110圓)の「小泉八雲集 上巻」というのを本棚から引っぱり出して読んでいた。
昔、金沢、寺町、深沢書店で買ったのだろうか。
さて、夜になって、明日は子どもも来ないし、今日は夜ふかしできるわいと、なんとなくYou tube で琵琶の「壇の浦」というの聴いてみた。
びっくりした。
これはなにごとであろうか!
この謡い手は何者であろうか!
ともかく、ただ者ではない。
映像も何もないが、だまされたと思ってあとで聴いてみてごらんなさい。
できれば、明かりを消した部屋で。
ところで、今日の引用のあとにはこんな文章が続く。
芳一は聲を張り上げ、烈しい海戦の歌をうたった――
琵琶を以て、或は橈(かい)を引き、船を進める音を出さしたり、はッしと飛ぶ矢の音、人々の叫ぶ聲、足踏みの音、兜にあたる刃の響き、海に陥る打たれたもの音等を、驚くばかりに出さしたりして。
その演奏の途切れ途切れに,芳一に自分の左右に、賞賛の囁く聲を聞いた、
「何といふ巧い琵琶師だらう!」
「自分達の田舎ではこんな琵琶を聴いたことがない!」
「国中に芳一のやうな謡ひ手はまたとあるまい!」
すると一層勇気が出て来て、芳一は益々うまく弾き且つ謡つた。
そして驚きのため周囲は森としてしまつた。
しかし終りに美人弱者の運命――婦人と子供との哀れな最期――隻腕に幼帝を抱き奉げ、それから後といふもの一同は聲をあげ、取り乱して哭き悲しんだので、芳一は自分の起こさした悲痛の強烈なのに驚かされた位であった。
そうだったのか。
これなら平家の亡霊たちは哭く。
聴きながらそう思った。
というより、聴きながら自分の心が動いたのだ。
ああ、そうか、芳一の琵琶はこのようなものだったのだ。
そう思った。
もちろんこれは、「平家物語」をそのまま語った芳一のそれに比べればずいぶんのダイジェストではあるのだが、それでもすごい。
西洋の音楽とはまるでちがう。
しかし、この音楽が持っている力とは何事なのだ。
シューベルトの歌曲は美しい。
けれども、歌詞の意味を私はたどれない。
それは歌曲の魅力の8割をわからぬままに聴いているということだろう。
けれども、この平家物語はちがう。
撥が琵琶の弦をはじく。
語りがはいる。
琵琶の調べにのせて「うたう」のではない。
間に「かたる」のだ。
そしてその語る言葉を私は追うことができる。
琵琶はその場面、情感を高めるためにのみ弾かれる。
それがどれほどすごいものであることか!
なぜ、当時の人々が琵琶法師の語りを好んで聞いたのか、私ははじめて得心しました。
・・・なんて、例によって、長々書いてしまいましたが、すくなくとも、夜これを聴くことはまたなかなかの消夏法であろうと私は思うのであります。
なにしろ、芳一が亡霊に導かれて墓場に出かけてこれを語ったのも
或る夏の夜の事
だったのですから。