「危機管理」 邑井雅和さん
防災士研修で印象に残った話。
その1.「ペンタゴンの危機管理」
ペンタゴンの職員は2万人。ハリケーンの襲来が予想される場合、当日午前6時に出勤か自宅待機か指令が出る。ある時、日本人官僚がペンタゴンを訪問するために電話すると、「今日はハリケーン通過の警報が出ており、全員自宅待機だから来ても無駄だ」と言われた。その日の午後、ハリケーンの勢力が弱まった頃を見計らって、日本人官僚は再度ペンタゴンに電話した。すると「自分がキーパーソンだと思っている者は出勤するだろう」という返答だった。
後日確認したところ、出勤者の数200名。すべて清掃員だった。大臣クラスもすべて不在のペンタゴンの清掃は大いにはかどったらしい。
その2.「東京都の危機管理」
東京の臨海副都心で直下型地震が起きた場合、死者1万1千人が予想されている。都はそれに備え、すでに1万1千人分の棺桶を備蓄済である。
その3.「日本人の危機対応」
阪神淡路大震災の際、コンビニの前で整然と列を作って一人2個当てのおにぎりを買う日本人の姿をニューヨークタイムズは「助けられる日本人も、助ける日本人も一流。しかし、その日本人が選ぶ政府はいつも三流」と評した。
その4.「憲法違反」
大災害や大事故が起こった現場ではトリアージ(苦渋の選別と決断)がなされるため、救命の見込みのない人や軽症者は救急医療が受けられず見捨てられる。これは憲法が保障する基本的人権や生存権の侵害で憲法違反であるが、やむを得ない状況における対処として黙認される。同じ憲法違反でも集団的自衛権容認は、総理にとっては苦渋の選別どころか当然の決断なのだろうが、これとはまったく意味が違う。
二日間の防災士研修は、とても興味深く勉強になりました。認定試験も簡単でした。
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研修、おつかれさまでした。
そして、おもしろいお話、ありがとうございました。
高校の頃、例によって赤点だった数学の答案をもってプールサイドに行ったら、竹内君に
「どいや、こんなダラみたいに簡単な問題を!」
と言うて鼻で嗤われてしまいました。
邑井氏は
「認定試験も簡単でした」
などと涼しい顔で言っておりますが、それはあなたが《竹内君》だからです。
世の中には「ダラみたいに簡単な問題」に手も足も出ぬ《テラニシ君》の方が多いのです。
ところで、「危機」という事態は、その事態が「管理」できない状態になったからこそ「危機」なのだ、と喝破していたのは養老孟氏だったでしょうか。
にもかかわらず、それを「管理」できるなどと思い込んでおるような連中が「危機管理」などというお題目を唱えて、棺桶の用意などをして、「わが事成れり」と悦に入っているのでしょう。
危機においては、管理体制そのものよりも、その時その場において「自分がキーパーソンだ」と思える者が何人いるかが、事の成否を分けるのだと思います。
と言うより、そんな大げさなことではなく、その時その場において「自分が今ここでやれることをやろう」と思える人がどれほどいるかが問題なのでしょう。
養老氏は
「危機において大事なのは、《管理》ではなく《覚悟》だ」
と同じ文章に書いていたように記憶しています。
養老氏が言われている《覚悟》とは、危機に臨んだとき「自分がいまここでできることをやる」と思えるということのような気がしています。
そして、邑井氏が受けた研修とは、つまりは、そう覚悟した人間がその「自分ができること」の引き出しをふやしていこうということなのだと思います。
やっぱり邑井氏はエライなあと思いました。
すてぱん