脱法国家
「事故さえ起こさなければ運転しても大丈夫だと思った。」
― 海津雅英 ―
昨日、原子力規制委員会が九州の川内原発が新たな規制基準を満たすと発表した。
政府も財界も、これで再稼働のお墨付きを得たと大いに喜んでいるらしい。
地元もまた、経済を取るか安全を取るか、立場によって複雑ではあるらしいが、薩摩川内市長は一日も早く再稼働をと言っているらしい。
そこから離れた場所にいて、それを見ていると不思議な気がするが、原発に依存する経済の中にいったん身を置いてしまえば、それ以外に地元の経済を活性化させるすべなぞ思い浮ばぬのかもしれない。
たぶん
「地元じゃないとわからない!」
という事情もある、ということだろう。
それとは、まったくちがう話になるが、このごろいわゆる「脱法ドラッグ」による事故、事件が続いている。
あんな馬鹿げたものを、なんで車を運転しながら吸ったりするんじゃ、と多くの者たちは思うが、一回それを吸ってしまった者にとって、吸ったときの快感が忘れられないのだろう。
吸った者ではないとわからないことがあるのだろう。
だからやめられない。
それは一般に「依存症」と呼ばれる。
さて、原発立地の町の首長は、そんな奴らをほんとうに非難できるのだろうか。
原発は危険かもしれない。
けれども原発立地には「快」があった。
それが忘れられない・・・・。
だとすれば、それでは、あなたたちも同じ「依存症」ではないのか。
言うまでもないことだが、それは政府・財界を取り仕切る者たちも同じことだ。
ところでこれは「脱法ドラッグ」ではないが、先日、小樽市銭函(これは映画Love Letterの舞台だったので、なんだか知らぬ街とは思えなかった)で飲酒運転で若い女性を4人をひき逃げした男がいた。
今日冒頭に引用した言葉はその男が言った言葉だ。
なんとまあ、と思う。
なんとまあ、と思うが、このことでこの男に「石を投げる」ことができる者が、政府、財界の中にはたしているのだろうか。
事故さえ起こらなければ運転しても大丈夫だ
とは、まさにあなたたち自身がいつも心の中でつぶやいている言葉ではないのか。
この男は4人の女性をはねた。
福島原発は何十万の人々にふるさとを捨てさせた。
にもかかわらず「自分は大丈夫!」と飲酒運転をする者。
脱法ハーブを吸う者。
原発を稼働させようとする者。
いったい、そこにどんな違いがあろう。
「脱法ハーブ」の《脱法》とは「違法ではないが、どうみても道に外れている」という意味であろう。
今政府が責任を取らない形で進めようとしている原発再稼働とはまさに《脱法》的再稼働ではないか。
自分が「依存症」であると自覚することだけが「依存症」を抜け出す唯一の第一歩であると、昔、邑井氏が私に教えてくれました。