反戦詩ではない
昨日引用した宮尾節子という人の詩はむろん反戦詩ではない。
ところが世の中にはこういう詩を反戦の詩だと思って読む人が多い。
同じように反戦の詩だと思われている女性の詩に茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」がある。
全文を載せる。
わたしが一番きれいだったとき 茨木のり子
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争に負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
ね
これは今は高校の教科書にも載っている。
もう十年も昔になるだろうか、試験勉強をしている子どもの国語のノートを覗いたら、担任の国語教師はこれを反戦詩として読ませようとしているらしかった。
せっかくの青春を戦争に奪われたことを歌ったそんな詩として。
アホじゃなかろうか、と思った。
これは「反戦詩」ではない。
これは「反青春詩」だ。
別に戦争なんかなくっても、自分が一番きれいだったときを振り返って、実はそのときの自分が、頭がからっぽで、心がかたくなで、手足ばかりが栗色に光っていただけだったなあと思わないような、そんな女がいるものか。
自分が一番きれいだったとき、その明るい外面のうしろに、ほんとはとてもふしあわせで、とてもとんちんかんで、めっぽうさびしかった自分を持たなかった女がいったいどこにいるだろう。
むろん、男だって同じだ。
女と違って「一番きれいだったとき」なんて、そんなわかりやすい目安がないだけだ。
青春なんて錯誤と愚行に満ちている。
大人になった自分から見れば何も考えていないに等しい。
なにも考えていなかったから、自分の国が戦争に負けたとき、
そんな馬鹿なことってあるものか
と叫んでしまうのだ。
これは、
「そうじゃない自分になろう」
という詩だ。
「そうじゃないおばさんになろう」
あるいは
「そうじゃないおばあさんになろう」
という詩だ。
こういう詩を単なる反戦詩としてしか読めないのは、詩が「他人事」だからだ。
自分の腹に入れ、自分の頭で考えないからだ。
「そうね、戦争ってイヤね」
などという、世間や人びとが言うそんな公式でしか詩を読みとろうとはしないからだ。
そんな自分にはもう戻らないぞ!
茨木のり子が言っているのはそんなことだ。