ウクライナ
…… 風よたのしいおまへのことばを
もっとはっきり
この人たちにもきこえるやうに云ってくれ……
― 宮沢賢治 「曠原淑女 (作品第九三番)」―
名というものは、その音の響きだけで私たち心の中にに何ごとかを喚起させる力がある。
かさねとは八重撫子の名なるべし
芭蕉に同行した曽良は、奥の細道の那須の高原で出会ったかわいらしい少女の名から八重のナデシコの花を思い浮かべた。
おなじように地名もまた私たちに何ごとかを思わせる。
ヒンドスタン平原
タクラマカン砂漠
サマルカンド
ンジャメナ
トランシルヴァニア
ぺロポンネソス半島
ダニューブ川
バイカル湖・・・・
これらまだ見ぬ山や川や町が、その名前の響きだけで、なにかふしぎななつかしさをともなうイメージをもって心の中に広がるのは、なにも私だけではあるまい。
ウクライナという名を持つ国がある。
その国の名が、今から90年ほど昔、大正の終りの頃、日本の詩人の心に、ある幸福なイメージをもたらしたことがある。
「曠原淑女(こうげんしゅくじょ)」と題された宮沢賢治の詩の全文は以下のようなものだ。
日ざしがほのかに降ってくれば
またうらぶれの風も吹く
にはとこやぶのうしろから
二人のをんながのぼって来る
けらを着 粗(あら)い縄をまとひ
萱草(かやくさ)の花のやうにわらひながら
ゆっくりふたりがすすんでくる
その蓋(ふた)のついた小さな手桶は
今日ははたけへのみ水を入れて来たのだ
今日でない日は青いつるつるの蓴菜(じゅんさい)を入れ
欠けた朱塗(しゅぬり)の椀をうかべて
朝のさわやかなうちに町へ売りに来たりもする
鍬を二梃(ちやう)ただしくけらにしばりつけてゐるので
曠原の淑女よ
あなたがたはウクライナの
舞手のやうに見える
…… 風よたのしいおまへのことばを
もっとはっきり
この人たちにもきこえるやうに云ってくれ……
「萱草の花のやうに」笑っている、身にまとったけらに鍬を縛り付けた若い二人の百姓娘を見て賢治は
あなたがたはウクライナの
舞手のやうに見える
と歌った。
それは、彼女らに対する最大の賛辞だ。
ここで歌われる《ウクライナの舞手》とは、軽やかにそして自由にふるまう者の象徴だし、しあわせであることの代名詞だ。
そんなウクライナで、今日、政府は親露派との内戦の停止を中止すると発表したそうだ。
また戦いが始まるらしい。
戦いを始めようとする彼らの耳に、風は伝えてくれないだろうか。
あなたがたから遠い東の国には、
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
と歌った詩人がいて、その詩人は、あなたたちの国をしあわせの徴のように思っていたのだと。
そう、風よ、その人はおまえに向かって、こう言ったのだから。
…… 風よたのしいおまへのことばを
もっとはっきり
この人たちにもきこえるやうに云ってくれ……
と。