白菜
恵子曰く
「墨子は大巧なり。輗(げい)を為(つく)るを巧とし、鳶を為るを拙となす。」
― 『韓非子』 (金谷治 訳注)―
週末、山田さんは自転車に乗って芸術に触れ来たのだそうですね。
すばらしい!
バルテュス。
むろん、彼の描いた絵は芸術です。
一方、先月飛行機で台湾に行った、俊ちゃん・なるみ君&テラのトリオも、実はちゃんと「芸術」に触れてきたのであります。
言っておきますが、なにも、私らは台湾において、四六時、紹興酒と台湾啤酒におぼれていたわけではない!
おそろしく乱暴な運転をなさるタクシーに乗ることをも怖れず、ちゃんと、名もゆかし
《台北・國立故宮博物院》
に出かけもしたのです。
立派な建物でしたなあ。
「天子は南面す」
などという言葉が中国にありますが、この故宮博物院はなにせ宮廷の宝物(ほうもつ)を収めてあるんですからな、ちゃんと山の南斜面に堂々と建っております。
そして、その入口には、まるで当然のような顔をして、立派な一対のコマイヌくんが鎮座なされておりました。
残念ながら、このとき私のカメラは電池がなくなってしまっていて撮影できなかったのですが、このコマイヌくんたち、なかなか子煩悩なコマイヌで、前脚で、なんと子どもの腹をくすぐっておりました。
コチョコチョ、コチョコチョ
ってなもんですな。
これはコマイヌ愛好家のわたくしもはじめて見る意匠で、いやいや、はるばる旅をした甲斐があったわいとなかなか上機嫌になったものです。
とはいえ、むろん、観るべきは、その建物の外部ではなく、その内に収められているホーモツの方です。
というわけで、私ら、ゆったりとその建物の中に入ったのですが、まず私らを驚かせたのは、手旗を持ったガイドに率いられた2,30人の人々からなるあまたの人々の群れでございました。
大陸から来られた方々でしょうか。
そんなグループが一つの展示室に2つ、あるいは3つ、時として4つぐらいおられるんですな。
その2,30人が、順番待ちの状態で、前のグループが一つの展示の前から去ると、ガイドの掛け声もろとも、ダーっと一斉に展示のガラスの前に集まるわけです。
いやはや!
あなた、そのような中、私ら三人のような、ひかえめを絵に描いたような者たちのいったいどこに居場所がありましょうや!
てなわけで、私らは団体客がおらぬひっそりとしたあまり人気のない展示室をゆったり廻っていたのですが、そのしーんと静まりかえった展示室に並べられた殷や周といった時代の玉器や青銅器の数々は、なんともはやすばらしく、いやいや、やっぱり中国文明というのはただ者ではないなあと、大いに舌を巻き、私は大いにおもしろかったのであります。
ところで、かの団体客たちが群れののしり合っていた展示室というのは、明、あるいは清時代の宮廷の宝物が収められておる部屋でして、その一番人気というのが《白菜》、なんですな。
正式な名前は「翠玉白菜」とかいうらしいのですが、緑と白の玉を、彫って白菜に仕立てたものです。
なんでも、これこそが「故宮博物院」が誇る《神品》なんだそうです。
どうなんですかねえ。
(えー、あと、玉を彫り込んだ「豚の角煮」なんてのも人気でした!)
私は、そもそもそんなもの、はなからバカにしてほとんど見る気もなかったのですが、なんとなく本物の白菜ぐらいの大きさがあるものと思っておりましたら、なんと、たかだか20センチほどのものだったそうです。
団体客の圧倒的圧力にも負けず、しっかりその《神品》を目に焼き付けてこられたなるみさんの話によれば、その葉先の部分にはキリギリスみたいな虫まで付いておったとか。
うーん。
あのですね、『韓非子』という本に《木鳶(ぼくえん)》という話が載っております。
墨子(ぼくし)という人が三年かけて、木で鳶(とび)を作ったんです。
で、できあがった鳶を飛ばしてみたところ、なんと、そいつは飛んだんですよ。
すごいですな。
でも、それは、一日で壊れてしまった。
とはいえ、そのとき墨子の弟子が言ったんだそうです。
「先生のわざはすごい!(巧者である)
なにしろ、飛ぶことができる鳶を木で作れるんですから!!」
すると、墨子はこう言うたそうです。
「あのなあ、おまえ、車の長柄をくびきで留める車輗(しゃげい)を作る職人は一尺たらずの木を使って、朝仕事にもならないくらい簡単に仕上げるのに、それで三十石もの荷物を引っ張って、遠くまで行ける力はあるし、何年使っても壊れない。
一方、わしはと言えば、三年もかけて鳶を作ったあげく、一日で壊れてしまった。
車輗を作る職人の方が、わしなんかより、ずうっと巧者だ」
と、その話を聞いた恵子(けいし)という男が言うたそうです。
「墨子こそがすばらしい巧者である。
なんとなれば、輗を作る者を(実用的なものを作るから)巧者とし、鳶を作る者を(役にも立たない仕事だから)不器用だ、と言ったから。」
・・・というようなお話です。
えー、なんで、こんな話を長々と書いたかと言えばですな、私にはよくわからんからであります。
つまり、あの「白菜」(あるいは「豚の角煮」)のよさが、です。
『韓非子』という書物は、今から二千数百年前に書かれたものです。
ということは、つまり二千数百年前に、「無用な工芸品」をつまらないものとしてアホにしておる中国人がおったということです。
そして、その書物はかの国でも連綿読まれ続けており、おかげで私のような東海の辺境におるものですら、文庫で読めるくらいの古典となっておるのです。
だから、この話、ある意味、中国では常識の範疇にあるお話ではないか思うのです。
ところが、です。
にもかかわらず、です。
それから二千年たっても、石に白菜なんぞを彫り込んで、それをよしとし、国の宝じゃ、神品じゃと騒ぎ喜ぶ人がおる、というのが、どうも私には解せんのであります。
芸術と工芸を分けるものは何かについて、ここでぐだぐだ論じたてようとは思わないのですが、言わせていただけるなら、まあ、
「何用あって、石に、白菜、豚角煮」
てなものです。
・・・などということを、旅から一月以上もたって、わざわざ書いたのは、毎日新聞社やら朝日新聞社やらがこの「翠玉白菜」を故宮博物院から借り受け、今日から7月7日まで上野の東京国立博物館で展示するということを大宣伝しておるからであります。
うーん。
興味ある方は「話のタネに」ご覧になられるのもいいと思いますが、山田さんにはまちがっても自転車に乗って、そんなところに行かれないことをお勧めします。