凱風舎
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同盟

 

 戦争が勃発すると、人々はいう ―― 「 こいつは長くは続かないだろう、あまりにもばかげたことだから。」  そしていかにも、戦争というものは確かにあまりにばかげたことではあるが、しかしそのことは、そいつが長続きすることの妨げにはならない。

 

― カミュ 「ペスト」 (宮崎嶺雄 訳)― 

 

今日も子供たちは早くからやってきていた。
私が椅子にすわって夕刊を読んでいると、歴史のワークをやっていたトモヤ君が

「先生、日英同盟ってなくなったんですか」

と聞く。

「なんだ」

と聞くと、

「ほら、ドイツってイギリスの敵じゃないですか。
なのに、日本はドイツとイタリアと日独伊三国同盟を結んでるから」

なかなか正しい質問である。
そういえば、たしかに、今の中学の教科書には日英同盟が廃棄された経緯は書かれていない。

というわけで、テラニシ先生は、日英同盟というのは第一次大戦後に開かれた海軍軍縮のためのワシントン会議の結果なくなったのだよ、とその経緯も含めて話してあげた。
なかなかよい先生である。

 

ところで、トモヤ君のおかげで思い出したが、日本がこれまでに結んだ《同盟》と名の付くものは、日英同盟と日独伊三国同盟しかない。
そして、御存じのように、そのいずれの《同盟》も、結んでまもなくして日本は戦争を始めたのだった。
具体的にいえば、日英同盟は1902年に結ばれその二年後の1904年には日本はロシアとの戦争に踏み切り、一方、1940年に日独伊三国同盟が結ばれたその翌年、日本は太平洋戦争に突入した。
日英同盟はロシアを仮想敵国として結ばれたのだし、日独伊三国同盟はアメリカをその仮想敵国としていたのだから、その結果はともかく、戦争の前にこれらの《同盟》を結んだことは、政府にとって、ありうべき戦争に備えた実に「賢明な」選択だったのだと言える。
もちろん、政府はそのような《同盟》があるからこそ、戦争に踏み切ったのだ、とも言えるし、その方がたぶん正しい。
《同盟》とはそんな力を政府に与えるものらしい。

今 日本とアメリカは安全保障条約を結んでいる。
これを「日米安全保障条約」という。
にもかかわらず、今の日本の首相はこれを「日米同盟」と呼んで憚らない。
はたまた与党のみならず野党の中にも、そう呼んで疑わぬ者たちがいる。

けれども《同盟》とは、仮想敵国なしにはありえないものなのだ。

安倍首相がなぜ「日米安保」を「日米同盟」と呼びたがるのか。
「集団的自衛権」と呼ばれるものの閣議決定を急ぐのか。
それは彼の中に「仮想敵国」があるからだ。

日本国憲法はその前文において

日本国民は(中略)、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることがないようにすることを決意し、

と語り、その9条において

国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は国際紛争を解決する手段として国際紛争を解決する手段としては、永遠にこれを放棄する。

と書いている。
安倍首相をはじめとする9条を改めたいと思っている者たちが、もっともフラストレーションをためているのは、9条がある限り
「俺は強いのだよ」
と周りの国々にイバれないことなのだ。
(安倍首相が、巨大与党を背景に国会その他で好き勝手におこなっている様を見れば、彼が国際社会において、日本を代表してどんな態度を取りたいのかがわかる。)

安倍首相とその一党の中でどこを「仮想敵国」としているのか、私は知らない。( じつは、かなりはっきりわかるが)
けれども、くどいようだが、日本がどこかに「仮想敵国」を想定して「同盟」を結んだとき、二度が二度とも戦争になった。
そのことは、覚えておいていいことだ。
そして「日米安保」は「日米同盟」ではない。
それも覚えておいていいことだ。

二度あることは三度ある。
ことわざはそう言う。