「桐島、部活やめるってよ」 邑井さん
「桐島、部活やめるってよ」をDVDで観ながら、寺西さんが金沢から失踪した当時を思い出した。
幸町の穴倉のような下宿を、何度訪ねて行っても主は不在。
たまたまそこで出会った勝田氏に、初対面の挨拶もそこそこに「寺西さんの消息を知っていませんか?」と切り出したのを覚えている。
後輩に対しても丁寧な口調で勝田氏は「富山の橋本君のところにいるらしい」と教えてくれた。
否、「私も探しているのです」という返答だったかもしれない。
記憶があいまいなので、その後、寺西さんの衣類を持って富山まで会いに行ったことも、私の記憶の捏造なのかもしれない。
それはともかく、桐島が屋上にいると聞いて、関係する学生達がいっせいに疾走する場面は、当時の私の行動に見事オーバーラップした。
私は子どもの頃から、自分がヒエラルキーの下層にうごめく存在であることを常に意識していた。
高校生になって、そういう境遇から逃れたいと強く念ずるようになった。
そして、そのためには既成の価値観を打破する支柱となるものが必要だった。
2012年10月11日の通信「閉じられた空間」に寺西さんは、
「高校時代の私にとって、クラスなどというものは何の意味もないものだった」
「自分がどのようなキャラクターとしてクラスの者たちに思われているかを気にした記憶はない」
「周囲の視線を気にするそんな自意識過剰は、中学の時に卒業したのだ」
と書いている。
カーストの下層にいる高校生が、その境遇から脱却しようと望むなら、こんなふうに豪語してはばからない人間に乗っかるしかなかったのかもしれない。
当時の私にとって寺西さんは、桐島だったのである。
しかし、そんなふうに他の権威に帰依する者は、結局は別のヒエラルキーの下層に居を移したに過ぎないということにまでは迂闊にも思い至らなかったのである。
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おたよりありがとうございます。
大石君も大絶賛だった映画「桐島、部活やめるってよ」
やはりみなくては!