文学碑
この手紙は 文ちゃん一人だけで見て下さい 人に見られると 気まりが悪いから
― 大正六年四月十六日 塚本文子 宛「芥川龍之介全集 7 書簡 (1)」 ―
さっき朝刊を開いていたら、千葉版に「芥川龍之介文学碑」の写真が出ていた。
なんでも、一宮町にある旅館の前に建っているらしい。
こまかな文字がたくさん彫ってある。
よく見れば、冒頭
文ちゃん
僕は まだこの海岸で 本をよんだり原稿を書いたりして 暮らしてゐます。
と書いてある。
とんでもない「文学碑」があったものである。
どいや、どいや!
と、思わず声が出る。
こんなもん、「文学碑」なんかにするなよ。
これ、恋文じゃろうが!
大正五年八月二十五日、龍之介が一宮の旅館から出した求婚の手紙である。
どうやら、この碑にはその全文が彫られているらしい。
ひどい!
ラブレターなどというものが、メール全盛の現代においても絶滅せずにあるものかどうか、よくは知らないのであるが、まあ、昔は私だって書いたことはある。
しかしながら、それはその相手にのみ読んでもらうことを想定したもので、そんなものおおやけにされた日には、「舌噛んで死んじゃう」べきものである。
とはいえ、いっぱしの文学者の全集を編むとなれば、その断簡墨滴も余さず収録するこの国のことゆえ、それさえ、人目にさらされてしまうんだが、でもなあ、それを石に刻むかねえ。
人に見られると 気まりが悪いから
と、冒頭の引用したように、別の手紙で芥川自身そう書いているではないか。
とはいえ、かく言う私、実は、芥川氏の「文ちゃん」宛の(ちなみに彼らはめでたく結婚いたします)数々の恋文、ひそかに愛好する者であるのです。
えー、たとえば、日付けは改まりまして、大正五年の十二月のこんな手紙はいかがでしょう。
文ちゃん
少し見ないうちに又背が高くなりましたねさうして少し肥りましたねどんどん大きくおなりなさいやせたがりなんぞしてはいけません体はさう大きくなつても心もちはいつでも子供のやうでいらつしやい自然のままのやさしい心もちでいらつししやい世間の人のやうに小さく利巧になつてはいけません (後略)
と、まあ、こんなのを読んでニヤニヤしているのは、あんまりよい趣味ではありませんが、でも、やっぱり、芥川氏の恋文、きらいじゃない私です。