凱風舎
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なんたる絵

 

 「おい! 人間を作る人間  ( 彼は私が画家だということを知っているのだ )、おいで、一緒にめしを食おう」

 

 ―  ポール・ゴーガン 「 ノア・ノア ― タヒチ紀行 ― 」(前川堅市 訳)―

 

 電車が有楽町に着いてドアを出たら、ちょうど私の前の広告掲示版に大きなポスターが貼られていた。
 縦2メートル、横1メートルくらいの大きさだろうか。
 目がびっくりした。
 私は人びとの流れの中で思わず足を止めてしまった。

  なんじゃ、これは!
 
 それは一目でルソーが描いたとわかる赤い服を着た女の子の絵だった。
 六本木でやっているという「こども展」と題された展覧会のポスターらしかった。
 その絵の横には、同じ大きさのルノアールとピカソの描いた子どもの絵のポスターもあったのだが、このルソーの絵はその存在感でほかの二人の絵を完全に圧倒していた。

 《人形を抱く子ども》

 どうやら、そんな題名の絵であるらしいことはあとで知った。
 それはこんな絵だ。

 

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 たぶん首都圏に住んでおられる方々は電車の中でいつも目にされているのであろうが、いやはやそれにしても、これはなんたる絵でありますか!
 まったく、
  スゴイ
としか言いようがないではないか。

 黒目の部分が多い目はたしかに子どもの目と言ってもいいのかもしれないが、その濃過ぎる眉、立派すぎる鼻梁、そして、何より、これは髭濃き男の「ファイブ・オクロック・シャドー」か、と言いたくなるような、あごと鼻下の黒い影・・・・。
 これはほんとうに「子どもの顔」なのであらうか。
 そして、紅潮というよりはむしろどす黒く赤らんだ耳が、顔からすこし離れた髪の毛の中に描かれている。
 うーん。

 この「立派すぎる顔」に比べてほんとに小さなおててはとても可愛いのだが、その手に抱かれているお人形が、これまた、なんともはや笑ってしまう。
 (というか、これはなんのお人形なのだ?)
 そしてふっくりとしたあんよは、たしかに子どものそれなのだが、妙な具合に曲がっている。

 ともかく、一つ一つの細部が思いっきりヘンテコなのだ。
 思いっきりヘタクソなのだ。
 にもかかわらず、この絵はなんたる力を持っておるのであろう。

 きれいに美しく描かれた絵が芸術なのではない。
 そんなふうに上手に描く人なんて、きっと、それこそ掃いて捨てるほどいるのだ。
 きれいな絵ではなく力を持った絵が芸術なのだ。
 そして、絵が持っている力とは、端的に言ってその絵から「目が離せない」ということなのだ。
 それだけの話だ。
 ルソーの絵の中のどこにその力があるのか、うまく私には言えないが、この絵がとんでもなくすてきな絵だということだけはわかる。

 いやあ、今日はほんとにびっくりした。
 ひさしぶりにスゴイ絵を見てしまった。