凱風舎
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しづごころ

 

 

 夢のうちもうつろふ花に風吹きてしづごころなき春のうたたね

 

                 

                                   式子内親王

 

 桜が満開を過ぎたあたりで世間で思い出される歌といえば

 久方の光のどけき春の日にしづごころなく花の散るらむ

という紀友則の歌と相場は決まっている。
 けれども、もちろん、この歌を習い知った十代の頃に私にこの歌のこころがわかっていたわけではない。
 そもそも中学生や高校生の頃に桜の花をめでる感性があったかどうかすら定かではない。
 桜の花を「きれい」とは思っても、「うつくしい」と感じる、そんな思いはなかったような気がする。
 
 それに、十代、二十代などというものは、桜の花なんかよりもむしろ自分の方が、よほどに「しづごころない」頃である。
 桜の花なんぞは知ったことか!
 それより、見るべきもの、思うべきことはたくさんあるものであるし、それは今の子どもたちだって同じことだ。
 だから、当時の私にとって「しづごころ」といえば、たとえばこんな歌だった。

 しづごころたもちがたかる日の暮は紅き桜果(チェリー)を食べに来にけり

                                  木俣修

 「しづごころたもちがたかる」・・・・たしかに、そんな日暮れはあったのだ。
 というより、そのころはそれが毎日だったのかもしれない。
 それを、たぶん梶井基次郎なら

  えたいの知れない不吉な(かたまり)が私の心を始終圧へつけてゐた。焦燥と云ほうか嫌悪と云ほうか――

と書いたのだろうし、前川佐美雄なら

  夕くらむわが室の壁をながめては今日もつかめぬ何もののあり

と歌ったのだ。
 そんな日暮れ、まさか桜果を食べるほどのしゃれっ気はなかったが、なけなしの金を払って、二階にある喫茶店の窓際の椅子に腰を下ろし、コーヒーを飲みながら硝子越しに行き交う人や車を外に眺めて五月の夕暮れを過ごしたりしたものだ。

 ところで、同じ「しづごころ」という言葉を使った今日引用した式子内親王の歌を知ったのは、いつだったか。
 たしか馬場あき子の「式子内親王」という本だったような気がするが、今は手元にない。(たぶん押入れの箱の中)

 「夢のうちもうつろふ花に風吹きて」と歌われてみれば、夢に桜など見たこともない私には、この「花」とは、桜の花そのものであるより、むしろ、逢えずにいる思い人であるかのように思われてくる。
 そしてこの歌の中で「しづごころ」がないのは花でもあり、それに同期する自分のこころでもある。
 二つながらに「しづごころ」ない。
 それを歌って、よい歌だと思った。
 であるなら、なぜ彼女ほどの歌人が「夢のうちもうつろふ花に風吹きて」となぜわざわざ字余りにしなかったのだろうと、そんなことさえ思ったりしたものだった。
 (ちなみに、先週の書評に、百人一首にも採られている彼女の有名な
  玉の緒よ絶えなば絶えね
の歌は、「忍ぶ恋」という歌の題を出されたとき、彼女が男の思いとして歌ったものだいう説が紹介されていて、おおいに感心してしまったのだが、その伝でいけば、引用の歌の「花」に、男から見た逢えない「女」を重ねて見るという私の説も、あながち間違いでなかったのかもしれない)

 はてさて、そう思って友則の歌を読み返してみれば、「花」は純粋に花として歌われている。
 「しづごころ」がないのは桜の花であって、それを歌う歌びとのこころではない。
 歌人のこころは、むしろ「光のどけき春の日」にふさわしく、あたたかくしずかな場所にいる。
 そこから「しずごころ」なき花を思っている。
 むろん、それを「あはれ」とは思っているのだが、そんな「あはれ」がわかるのは、たぶんはどこか自分の中に老境に達した何かが生まれてからではなかろうか。