金沢の匂い
漢文で習った「売柑者之言」の中に書いてあった「鼻を撲つ」という言葉が断れぎれに浮かんでくる。
― 梶井基次郎「檸檬」―
金沢に着いた翌朝、家を出て、界隈の細い路地を曲がると、不意に匂いがした。
忘れていたが、それは、たしか昔、私がまだ学校に通っていた頃、毎日のように嗅いでいた香であった。
しかし、その匂いがするのはなにも通学路に限ったことではなく、金沢の旧市街の裏通りを歩けば、かならず、と言っていいほど、どこでも、そしてどこからともなくしてくる匂いで、だから、それが何の匂いなのか、当時の私にとって特に意識したこともない匂いであった。
金沢の匂い。
それが不意に「鼻を撲つ」た。
鼻が覚えていた昔、に驚いてちょっと顔を上げて見まわすと、そこに松の木があった。
ああ、これかあ。
そうかあ、松の匂いかあ!
その松の木は、まるで、その樹高もその枝ぶりも50年前私がまだ子どもだった頃とほとんど変わっていないかのようで、その枝先に、上に雌花を付けたたくさんの緑の新芽をまっすぐに空に向けて立っていた。
細い路地を歩くとき私たちの視線はあまり高くはならない。
はなやかな桜を別にすれば、古い小路の二メートルばかりの高さの土塀をわずかに越えて花をつけている梅や椿の花には目は行っても、それより高い松や栂の木に多く私たちの目はいかない。
けれども、城下町金沢の旧市街の細い小路に面した家々には思いのほかに松の木を持つ庭が多いのだ。
それが、たぶんあの町に、どこか、くぐもったような独特の落ち付いた匂いをもたらしているのだ。
たぶん同じ松でも、表日本のそれとはちがって、湿りを帯びた北陸の空気が、町全体にその匂いを染み込ませているような気がする。
もっとも、そんなことに気付かずにいたのは私だけなのかもしれないが。