凱風舎
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回向

 

 Mよ、昨日のひややかな青空が
 剃刀の刃にいつまでも残っているね。

 

 - 鮎川信夫 「死んだ男」 -

 

 国道との大きな十字路で信号を待ちながらぼくは空を見上げる。
 雲ひとつない青空。
 陽は明るいのに今日も冷たい風が吹いている。
 三月十一日。
 あれから三年たった。

 震災での死者をかたわらにもたないわたしのような人間には、ただ、こうやってその日がめぐり来ることだけがふだんの日々の浮薄を思い出させる。

 

 死者たちが浄土に行くことを回向(えこう)という。
 あるいは死者たちが浄土に行くことを願って花を手向けその供養することを私たちは回向と呼んでいる。
 
 けれども、ほんとうはそうではないのだ、と親鸞は言う。
 いやいや、それも確かに回向にはちがいないが、回向にはもうひとつ意味があって、それは浄土に行った死者たちがこの世に戻って私たちを救いにやってくることを指すのだ、と言う。
 親鸞が述べたことをここに書こうと思っているわけではない。
 あるいは、それが本当なのかどうかも知らない。
 けれども、ただ、死者たちに命日が訪れ、少なくともその日私たちが亡くなった人たちのことを思い出すことができるのは、実は私たちの救いなのだと私は思うだけだ。
 
 なぜ、そうなのかは書かない。

 私たちが三年前の三月十一日を持ったことは不幸だった。
 けれども、あれから三年、私たちが私たちの中に三月十一日を持ち続けていることは救いなのだ。
 そんな気がする。

 今日は私たちが人がましく生きるための大切な日なのだ。
 そう思う。