凱風舎
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遠く届くことば


質問また質問、怒号に次ぐ怒号を以てして、声調次第に激越を加へ来り、終に社会の耳目をして、鉱毒問題に集中せしむるに至り、因循たる政府も、亦省覚する所ありしかども、其鉱毒に対する施設は、到底翁の要望に副ふべくもあらず。是に於いて翁は、議会に糾合するの無益なるを悟り、断然代議士を辞して、鉱毒被害地方の一平民に返り、明治三十四年十二月十日、帝国議会開院式臨幸の時を窺うて、鳳輦に直訴するの非常手段を執れり。(「成功雑誌」大正二年十月号)


― 城山三郎 「辛酸」 ―

 

 

今年亡くなった三国連太郎の映画を私はそんなに多く観たような記憶はない。
けれども彼が田中正造を演じた「襤褸(らんる)の旗」という映画は深く印象に残っている。
むろん主人公田中正造その人に感動していたのだが、それを演じた三国連太郎もなんとまあすごい役者だろうと思ったものだった。
さて、その中で、国会議員の田中正造が紋付袴で明治天皇に直訴状を手渡そうとする場面が出てくる。
結局、その直訴状は天皇の手には渡らなかったのではあるが・・・。

などということを思い出したのは、ほかでもない、昨日の園遊会で山本太郎議員が天皇陛下に手紙を手渡したことが今日の昼のニュースで問題になっていたからである。
「けしからん!」
テレビに出てくる閣僚や議員さんたちは皆、まじめな顔をして怒っている。
まあ、とんでもない話だし、これは憲法上からもなかなかたいへんなことなんだが、それよりなにより天皇に直訴状を手渡すなんて発想が山本議員の中に湧いたことそのものが、私にはなんとも
すごいなあ!
と思われてしまったのだ。

田中正造以降、天皇に手紙を渡そうとした国会議員がいたのかいないのか私は知らないが、ひょっとしてこれは、今日原発問題に対して何もしない政府や国会といったものが、足尾銅山に対して何一つ為すことのなかった、かの明治政府と同じくらいの機能不全に陥ってしまっていることの象徴的な出来事のような気がしてくる。
しかしまあ、現憲法下においては主権者でもない天皇に手紙を渡すというのはどういうことなんだろう。

そういえば、昨日の朝日論壇で高橋源一郎氏が美智子皇后のお言葉をさまざまに論じて、最後に次のような言葉を書いていた。

 

わたしは、皇后のことばを読み、それから、そこで取り上げられた人たちのことばを、懐かしく振り返り、彼らのことばには一つの大きな特徴があるように思った。彼らは、「社会の問題」を「自分の問題」として考え、そして、それを「自分のことば」で伝えることができる人たちだった。そして、そのようなことばだけが、遠くまで届くのである。

 

いま、政界、官界のみならず日本に蔓延している無数の無意味なことばの洪水の中で、天皇陛下と美智子皇后のことばほどに見事に「社会の問題」を「自分の問題」として考え自分の体と心を通して語られたことばを不幸にして私たちは持たない。
そのようなお言葉を語り得るひととしての両陛下への希望が、山本議員をして、陛下に手紙を渡すなどという挙に出させたのかもしれない。
しかし「最後には天皇陛下」という発想、すでに戦後も七十年近くになるというのに、日本の底流はさほど変わっていないのだろうか。

ところで、同じ文章の中で高橋氏は美智子皇后が「国際児童図書評議会」で行われた基調講演の中のつぎのようなことばを最初に引用している。

 

読書は、人生の全てが、決して単純でないことを教えてくれました。私たちは複雑さに堪えて生きていかねばならないということ。人と人の関係においても、国と国の関係においても。

 

山本氏は「複雑さに堪えていきていかねばならないということ」を学ぶ幼少年期の読書経験が少し足りなかったかもしれないなあ。
しかし、仮に彼がいかに単純であったにしても、為すべきことはまず己の立場で全力を尽くしてみることではないか。
たとえ、おまえにはそれしかないのかと揶揄されても、それを馬鹿正直に、正攻法に言い続けることではないのか。

かの田中正造翁も、孤立無援ながら最初は国会で訴えることから始めた。
山本氏もまたそう思って議員になられたのではなかったのか。
彼はこないだの選挙で議員になったばかりではないか。
まずはそこで力を尽くす。
全力を尽くす。
そこから始めねばならない。
それでなおかつ力及ばず、であったにしても、一貫してそれを訴え、いつまでもその被災者に寄り添い続けてはじめて、彼の原発廃棄の思いはほんとうに遠く届くことばになるのだろうに。