地震計
一歩出てわが影を得し秋日和
・ 日野草城
朝日新聞の土曜日に磯田道史氏が「備える歴史学」というコラムを連載している。
さまざまな古文書に書かれた過去の地震や津波に関する記事が書かれていて、なかなか興味深く読ませてもらっている。
さて、そのコラムの今日の記事に こんなことが書かれていた。
なんでも、江戸時代地震が起きると諸大名は将軍様に「地震大丈夫でしたか」という御機嫌伺いの使者を出さねばならなかったらしい。
とんでもない地震なら即刻見舞いの使者を出せばいいのだが、震度1や2で地震見舞いを出すと笑われる。
微妙なのは震度3~4の地震である。
気象庁が震度を発表するわけではないので、基準が必要になる。
そこで利用されたのが天水桶だったというのだ。
天水桶の水はおおむね震度4以上でこぼれる。
私、ははあ、と思った。
それというのも、これは私の経験に全く合致したからである。
実は私の家の金魚鉢の水もこれまで震度4以上になると間違いなくこぼれていたのである。
おっと、こいつは揺れたぞ、と思っても、八割ほど水の入った金魚鉢の水が 外にこぼれなければ、気象庁の発表はいつも震度3というものでしたし、震度4を超えると、水は波打ち、外にこぼれる。
私の部屋の金魚鉢の水が初めて外にこぼれたのは、山田さんやなるみさんが中学生だったころで、それは学校の授業中で、みな机の下に身を隠したらしいのですが、そのとき細田さんという子が床を叩きながら
「止まって、止まって!」
泣きながら言っていたと言うので、なんとかわいい、と思わずニコニコ笑ったことを覚えている。
まあ、震度4というのは、子どもが、ちとパニックになるくらいのそれぐらいの揺れなんですな。
というわけで、江戸の武家社会は
「天水桶の水がこぼれれば御機嫌うかがいを将軍様に出す」
ことにしていたそうである。
合理的ですな。
ちなみに、あの3・11の折、私の部屋の《地震計》は 、その水の9割方を外にこぼし、その下にあった畳と本はすっかり水浸しになってしまいました。
震度5弱とはそういう揺れであるらしい。
ところで、あの細田さん、今頃どうしておられるのでしょう。