醜陋の極なり
理想を高くせよ、敢(あえ)て野心を大ならしめよとは云はず、理想なきものの言動を見よ、醜陋(しゅうろう)の極なり、理想低き者の挙止容儀を観よ、美なる所なし、理想は見識より出づ、見識は学問より生ず、学問をして人間が上等にならぬ位なら、初から無学で居る方がよし。
― 夏目漱石 「愚見数則」 ―
日本政府は福島の汚染水問題に470億円の国費投入することを決めた。
どうやら、そうしないと、このことが海外で問題になって、五輪招致に影を落とすかららしい。
実に馬鹿げたことだが、もし、五輪招致運動がなければそれすらまだ決まらなかったということなのだろう。
だとすれば、このバカ騒ぎにもそれなりの「功」はあったということらしい。
それにしても、なんとまあ、日本はなさけない国になり下がったのであろう。
いわく、経済が大事!
世界の主要国が、シリア問題や世界の諸問題について語るG20の会議に、首相は1日しか出ないで、 自国にオリンピックを呼ぶためにブエノスアイレスに飛ぶのだという。
優先順位はそれでいいらしい。
今日の夕刊に飯田蛇笏の句が載っていました。
くろがねの秋の風鈴鳴りにけり
久しぶりに読んだ句でした。
ああ、と思いました。
そして、しみじみよい句だと思いました。
わずかな風にさえチャラチャラと音立てる「風鈴」ばかりそろったこの国に、秋風にふと音をもらす「くろがねの」風鈴はもうないのでしょうか。
美しい国とは、たぶんは、秋風にそんな風鈴がしずかに鳴る国であるはずなのに。