蘇生
イギリスの文化は、ゆっくり、のんびり、だらだらと育ってきたのです。
― E.M.フォスター 「文化と自由」 (小野寺健 訳)―
今日から九月。
まあ、九月とも思えぬ暑さだが、九月は九月である。
夏休みも終わりである。
もっとも、今日は日曜だから、正確にはまだ学校の今年の夏休みはまだ終わってないようなのだが、この一ヶ月半、その「成果」の方は、と言われれば、おぼつかないが、この塾の生徒も先生も連日の勉強でどうやら十分疲れたようなので、ここはキッパリ明日は休みにしようじゃないか!という前日の私の提言は中学三年生一同の盛大なる拍手をもって迎えられ、今日はめでたくお休み。
高校生も、今日は模試である。
というわけで、今日はほんとに久しぶりの完全OFF.
それにしても、朝から「な~んにもすることがない」ってのはいいですなあ。
なおかつ、朝のコーヒーを飲み終えた私の手元には読むべき本もある。
「冬のフロスト」。
勝田氏のご紹介から相当の時日がたったように思うのだが、なんしろこの間、街の本屋に行くヒマすらなかった。
でもまあ、金曜の午後高校生の赤い自転車を借りてアパートの更新に不動産屋へ行ったついでに「フロスト」買って来ました。
土曜日、子供らが帰った後に上巻を読み終え、今日は下巻。
いやー、おもしろかったです。
例によって例の如く未解決のままうだうだ積み重なっていく事件の山・・・。
行き当たりばったりですべて外れる警部の勘・・・。
下品極まりない会話・・・。
積み重なる吸い殻の山・・・。
そのどれもが期待にたがわぬ「いつもの」フロストぶりで、私、いやはや世の憂さも暑さもすべて忘れてしまいました。
もちろんこれが「読書」だなんて、私、言いません。
だって、すくなくとも「三省堂・新明解国語辞典」にこう書いてあるんですもの。
どくしょ[読書] (研究調査のためや興味本意ではなく)教養のために書物を読むこと。(寝ころがって読んだり、雑誌・週刊誌を読んだりすることは、勝義の読書には含まれない)
でもまあ、そんなことを言ったら、世界で「読書」なんてことやってる人って何人いるんでしょうねえ。
そして、そんな「読書」がいったい人に何をもたらすのでしょう。
フロストからの連想で「だらだら」という言葉に惹かれて、フォースターを引用してみたのですが、《ゆっくり、のんびり、だらだらと育ってきた》のはなにもイギリスの文化だけではないはずです。
人間というものの本質がそうである以上、その人間がはぐくんできた「文化」と呼ばれるもののの本質は皆そうであるに違いありません。
私にとって《フロスト》のみならず、本を読むことは「気晴らし」であり「娯楽」です。
そして、世の中なんであれ「気晴らし」や「娯楽」があってこそ明日への力も湧くというものです。
というわけで、フロストに力を得た私、「凱風通信 夏枯れの八月」を忘れさせるような、これまで以上にどうでもいいことをだらだらと書きまくる九月にしようと思っております。
というわけで、 ヨロシク。