凱風舎
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読書感想文


このところ何かにつけて「力」(りょく、ちから)という言葉を目にします。たとえば、言語力、思考力、文化力、対話力、コミュニケーション力、というように。そのように使われる「力」は、多く「能力」という意味に用いられています。
しかし、「力」というのは能力のことでしょうか。「読書力」というふうな言われ方もします。しかし、「読書力」とは「読書する能力」のことではありません。「読書力」は、「読書する能力」のことではなく、「読書する習慣」のことです。


― 長田弘 「日々をつくる習慣」 ( 『なつかしい時間』 )―

 

 

小学校の一年生のとき、「せかいなぜなぜものがたり」とかいう本を読んだ。
その中に、正確には覚えてはいないが、こんなようなことが書かれていた。

 

ひこうきにのって ひがしへ ひがしへと どんどんとぶ。
そしたら また もとのところに もどってくる。
ふしぎだ。


ひこうきにのって にしへ にしへと とぶ。
そしたら また もとのところに もどってくる。
ふしぎだ。


ちきゅうは まるい。

 

一年生の私はこれを繰り返し繰り返し何度も読んで飽きなかった。

当時の私に西や東といった概念が本当にわかっていたのかはわからないが、どんどん遠ざかって行っているはずなのに、また元のところへ戻って来るということがいかにも不思議でたぶんワクワクしたのだろう。
いまから思えばスケールを大きくした時、それまで思っていた概念が逆になるということがとてもおもしろかったのだろうと思う。
それはともかく、私はこの文章で地球は丸いということを得心したのだ。

けれども、むろんこの文章のおもしろさを言葉にして語る力を当時の私は持っていなかった。
ただ、それがおもしろいと思ったのだ。
そして、それでよかったのだ。

おもしろかった。
それでいいではないか。
主人公が好き。
それでいいではないか。
それなのに、なんで、読書感想文なんてものを国語の先生は書かせるんだろう。
それも原稿用紙に5枚も。
そんな時間があるなら別の本をもう一冊読ませる方がいい。
その方が子どもは本が好きになる。

長田弘は言う。

「読書力」は、「読書する能力」のことではなく、「読書する習慣」のことです。

そのとおりなのだと思う。
「読解力」とかいったそんな「能力」のことではない。
「読書力」とは「本が好き」ということだ。
本を読むとき子どもたちはその理解力も想像力も共感する力も、その時自分が持っているすべてを使っているのだ。
それでいいではないか。

「読書力」とは「本を読むってたのしい」と思うことだ。
そして、子どもたちにそんなたのしさをつちかってあげることがいちばん大事な国語の先生のつとめではないのかしら。

夏休みの「読書感想文」の宿題、やめたらどうかしら。