「えにし」 邑井さん
寺西さんは年少者に「命令」をしますが、人を「誘う」ことはありません。
長い付き合いを振り返っても、寺西さんから何か誘われた記憶がないのです。
寺西さんが金沢に帰省する際には「〇日に帰ります」とだけ連絡があります。都合がよければ顔を見せて下さいというメッセージであり、是非にという誘いではないのです。
万事この調子ですから、寺西さんが人を「誘う」のは余程のことと考えられます。
先日の投稿で「おまえ、水泳部に入れ」と命令されたと書きましたが、正しくは「おまえ、水泳部に入らんか」だったことを思い出しました。
当時の記憶をたどって行くと、あの言葉は寺西さんの人生の中でも希少な「お誘い」だったように思われるのです。水泳部が同好会へ降格の危機だったのは事実ですが、もとよりそんなことを意に介する人ではありません。
ともあれ「お誘い」があり、それに応じた結果が今日の私の交友関係の核になっているのは確かです。そう考えると「おまえ、水泳部に入らんか」という一言に因縁めいたものを感じるのです。
その「お誘い」の一年前、中学3年の私は毎日自転車で、牛乳配達をしていました。寺西さんは原付バイクで新聞配達。寺町の裏通りで時々すれ違いました。シチュエーションは毎回同じで、背後からバタバタというバイクの音がしたかと思うと「おーす」と声をかけられ、あっという間に片手をひらひら振りながら寺西さんは去って行くのです。わずかの間の出来事なので挨拶を返すこともできません。
しかし、年上の人に挨拶をされながら、一度も返礼できなかったことを私はとても気に病んでいました。そんな負い目があったので「お誘い」を断ることができなかったのです。
寺西さんが一世一代の行動に出たのは、鉄棒にぶら下がっていた私が実に申し訳なさそうな顔をしていたからかもしれません。不思議な縁です。
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