見てなかった
PKをはずすことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ。
それにしても、なんですな、知ってはいましたが、私の話題選びのセンスというは相当のものですな。
サッカーがWカップ出場を決めた夜に、せっかく「平家物語」のしかも「那須与一」の段まで引用しながら、なんと驚くべきことにそれはただの花の話である、なんてのは、相当ズレてます。
普通はですな、敵味方衆目注視の中、弓を引絞って矢を放った与一と、試合終了間際に日本中が固唾を飲む中PKを蹴った本田選手のことを関連付けて、
「やっぱり本田はスバラシイ」
とかなんとか書くというものです。
まあ、あんまり興味なかったんでしょうな。
というか、実を言うと、私、全然見てなかったんです。
例によって、隣のマンションからの悲鳴、喚声、歓声は聞いてたんですがね。
別にそれに心動かされることもなく、中学二年の女の子に連立方程式を教え、学校の話を聞き、それから地理がよくわからないというので「先進工業国」「発展途上国」「グローバル化」なんてことについて語ってたんです。
でも、今朝の新聞の写真を見ると、やっぱりカッコいいですな。
プレッシャーの中での集中を示す男というのは写真で見るだに美しい。
サッカーという競技の中で、唯一会場が静まり返るのはたぶんPKの場面だけです。
他のプレーヤーは動きを止め、観客を含めすべての視線が自分に集まって来る。
そこにただ一人歩みを進めるというプレッシャーというのはただごとではないだろうと思う。
たしかに「勇気」とはそういう時に用いるべき言葉なのでしょうね。
引用の言葉は去年の新聞に載っていた言葉です。
誰が言った言葉なのかはわかりません。
けれど、なんとまあ、正しくも美しい言葉だろう、と思っていました。
ところで、まあ、ついでですから、衆目注視の中、馬を進めた与一の弓を射る場面をこの際載せておきましょう。
「この矢、はずさせ給ふな」と心のうちに祈念して、目を見開いたれば、風もすこし吹よはり、扇も射よげにぞなったりける。与一鏑(かぶら)をとってつがひ、よっぴいてひやうどはなつ。小兵といふぢやう十二束三ぶせ、弓はつよし、浦ひゞく程に長鳴りして、あやまたず扇のかなめぎは一寸ばかりをいて、ひぃふつとぞ射きったる。鏑は海へ入りければ、扇は空へぞあがりたる。しばしは虚空にひらめきけるが、春風に一もみ二もみもまれて、海へさっとぞ散ったりける。夕日のかゝやいたるに、みな紅(ぐれなゐ)の扇に日いだしたるが、しら波のうへにたゞよひ、うきぬしづみぬゆられければ、奥(おき)には平家ふなばたをたゝいて感じたり、陸(くが)には源氏ゑびらをたゝいてどよめきけり。
いやはや、『平家物語』の中でも、屈指の名調子ですな。
声に出して読みたい。
目を開いた与一の静から動への鮮やかな転換。
弓に矢をつがえる彼の手慣れた動きの後に長く浦一面に響きわたる鏑矢のうなり。
夕暮れ初める早春の藍色の空、沈む夕日。
直線的に飛び去る矢と、ゆるやかな曲線を描いて虚空に舞い上がる扇。
そして喝采。
いやはや、すばらしい。
平家物語の作者がいま生きていたなら、サッカーの名場面をもまたいきいきとした「語りもの」にしてくれそうです。
それにしても、本田という選手、髪の毛の色以外の容貌がまるで別人みたいに見えましたが、何かあったのでしょうか。
人はそんな短期間に顔貌が変わるものなのでしょうか。