姫緋扇
「けふは日くれぬ、勝負決すべからず」とて引き退く処に、おきの方より尋常にかざったる小舟一艘、みぎはへむいてこぎよせけり。
磯へ七八段(たん)ばかりになりしかば、舟をよこさまになす。
「あれはいかに」と見る程に、船のうちよりよはひ十八九ばかりなる女房の、まことにゆうにうつくしきが、柳のいつゝぎぬに、紅のはかまはきて、みな紅(ぐれなゐ)の扇の日いだしたるを、舟のせがいにはさみたてて、陸(くが)へむいてぞまねひたる。
「今日は日も暮れてしまった。勝負をつけるわけにはいかない」と(源氏が岸から)引き退こうとしているところに、(平氏の船団がいる)沖の方からとてもきれいに飾った小さな舟が一艘、汀へ向かって漕ぎ寄せてきました。
そうして、岸から七,八十メートル程になったところで舟を横に向けるのです。
「あれはなんだ、なんだ」と見ているうちに、その舟の中から年の頃が十八九のとても美しい女房が、表が白、裏が緑色の「柳の色目」の五枚襲(かさね)の袿(ちちぎ)に紅の袴をはいて、全体が真紅に染められたまん中に金色の日の丸をつけた扇を、舟の脇に張り出した板にはさんで立てて、陸の方を手招きしました。
― 『平家物語』 ―
庭からあふれ、アスファルトの道端にまで咲いていたきれいな花。
「この花、なんというのですか」
門から出てきたおばさんにそう聞くと、
「《ヒオウギ》とかいうらしいですよ」
とこたえてくれた。
なあるほど。
そう言われれば、たしかに屋島の沖で那須与一を名高くしたかの《緋扇》にも、あるいはまたそれを舟に掲げたうら若い女房の美しい装束にも見えてくる。
よい名だなあ、と家で図鑑を調べたら、ほんとの「ヒオウギ」はまったくちがう花でした。
「おやおや」と思いながらいろいろ調べていたら、ほんとはどうやら《ヒメヒオウギアヤメ》という名らしい。
これもなかなかよい名です。
「小さな緋扇」。
アフリカ原産の花らしい。