寓話の国
雄弁家デマーディースがアンティーペーターおよびマセドニア人のために国策を建て、よってもって、権勢をアゼンスにほしいままにした全盛時代に、ややもすれば由緒正しきこの都民の威厳を傷つけ、その性格に反するごとき言説をなすをやむをえざることありしつど、彼はひとえに共和国の難船を避けんがために、舵を操ったにすぎないと称してみずから弁疏するをつねとした。この臆面もなきいい条。
― 「プルターク英雄伝 〈フォーシオン〉」 (鶴見祐輔 訳)―
昨日の日暮れ前、突然、窓の外で鳥たちが大きな声で鳴きはじめた。
まさに「けたたましく」という鳴き声である。
試験が近いと言うので部活がお休みなって、4時過ぎから集まって来ていた中学生の子どもたちも驚いて顔を上げる。
よもや、と思って、外を見てみると、案の定、ヤギコが柿の木の下でムクドリの巣立ったばかりの雛を口にくわえている。
鳴いていたのはその親たちだった。
外に出てヤギコの首根っこを押さえ、頭をはたくと、くわえていた鳥を放した。
鳥の方は、二三度地面でバタバタしたあとブロックの塀の上に飛び上がったところをみると致命傷は与えられてはいなかったらしい。
屋根には相変わらず親たちの声。
雛はやっとのことで親たちの方へたどりつく。
ヤギコの首根っこをぶら下げてそのまま階段を上がり部屋に放り込む。
自分が愉快だというだけで弱い者いじめをする年がいのない猫め。
ヨワッタ奴だ。
猫に雛を奪われても、小さなムクドリの親たちはただ鳴き叫ぶしかない。
横暴なる猫をひっぱたいて、雛を自由にするのは飼い主の人間でしかない。
それで猫はやっとおとなしくなる。
なんだかなあ、と思ってしまう。
春先、靖国に出かけ「村山談話は継承しない」と口走り、威勢のいいことを言い続けていた安倍内閣は、アメリカから異論が出たとたん、おとなしくなった。
談話の見直しなんてことは、考えてもいなかった、と殊勝である。
それまで橋下市長や猪瀬知事の馬鹿げた言動を何の批判もくわえず垂れ流してきたマスコミも、アメリカからの批判が出てはじめて、それを口にし始めている。
国民、日本の政治家・マスコミ、アメリカ。
鳥、猫、飼い主。
この国はどうやらイソップ話の国であるらしい。
鳥とちがって、この国の国民は大きな声はあまり上げてはいなかったようだが。
そういえば、この政府はいつぞやの日を「主権回復記念日」じゃと気勢を上げておったが、彼らの言っていた「主権」とは何なのであろうか。
引用の中に出てくる「デマーディース」という男が〈デマゴーグ(煽動政治家)〉という言葉の元になったというわけではないらしいのだが、そのような言説を弄する政治家があまりに多いので載せてみた。
橋下という大阪市長が先日外人記者の前で「弁疏」し、猪瀬という都知事は昨日黄色いシャツを着てロシアで走ってみせていたようだが、このひとたち、相変わらず自分を客観視できないらしい。
ちなみに「アゼンス」というのは「アテネ」の英語読みですな。
たしかシェークスピアの『真夏の夜の夢』も「アゼンスの森」の中の話だったような・・・。