抱負
冷やかであることと冷静であることは、同じではない。
― マックス・ジャコブ 「詩法」 ―
今日から五月。
でも今日は寒い。
ヤギコは一日ずっとホットカーペットの上に寝そべったままだ。
それでも外に出れば、日の光はあって、やっぱり暖かい。
冬の間、一週間経っても十日たっても、すこしも変わらなかった風景は、今は一日たてばちがっている。
木々の緑は濃くなっているし、道ばたの草は丈を伸ばし、昨日は目につかなかった新しい花が咲いている。
それにしても、「冷静」はいいが、「冷やか」はいけないな。
たぶん「冷やかさ」からは何も生まれないのだな。
化学の実験で、何かの薬品を混ぜ合わせても何も起きない試験管だって、すこしあたためてやると反応が進むものがあるみたいに、春や夏になると植物たちのなかでも同じことが起きているのだ。
あたたかくなれば自分の中の何かが反応を起こし、芽を出し、花をつける。
人も同じなんだろうね。
せっかく新しいものと出合っても、もし自分の中の何かが冷たいままなら、自分は何一つ新しくはなれないだろうし、新しいものを生み出せないだろう。
だからと言って、今の私みたいに一つ一つの政治状況にまで一々熱くなって反応してしまっているのはとても困るんだが。
そんなことは忘れて、もっともっと、どうでもいい、何の役にも立たないようなことに静かに反応して、おだやかなよいものが私の中に生まれてくればいいのだが。
そのためには「冷静」が必要だな。
冷やかではなく、けれども、冷静に!
そんなふうに人や物事に対することができる五月にしなさいって教訓を垂れるために、今年の五月はこんなに寒く始まったのかもしれない。
とはいえ、「冷ややかな五月」はいただけないな。
まったく、まったく、実にいただけない!!