谺(こだま)
いまわたしはどこの岸辺にたっているのだろう
どこから遠い谺は帰ってくるのか
― 嵯峨信之 「時という靴」 ―
日付というものがあって、それは365日たつと、一回めぐってくることになっている。
そして、たとえば今日の新聞の日付にふと目が留まり、あれっと思ったりする。
ところが、あれっと思ったところで、それが何なのかよくはわからない。
それで、そのまま新聞を読みつづけたりするのだが、それでも頭のどこかでは、なんで自分は今日の日付に目を留めたんだろうかと考えていたらしく、しばらくたって、コーヒーでも淹れようと立ち上がったりしたとき、不意に、
あー、そうか!
などと思ってしまう。
あいつの誕生日だったのか!
そして、苦笑いをする。
もうすっかり忘れてしまって、そのひとがいたことすら思い出すこともないのに。
誕生日だけ覚えている。
まるで、忘れた頃に届く、遠い遠い谺のようだ。
いったいそれがほんとうは何の谺なのか、もう、わかりもしないほどに、かすかな。