花こぼれ来る
てのひらをくぼめて待てば青空の見えぬ傷より花こぼれ来る
― 大西民子 「大西民子歌集」 (「無数の耳」)―
散り果てて、花なぞ、もうどこにもないようなのに、あれはどこからやって来るのか。
風に、ひとひら、また、ひとひら、桜の花びらが舞い降りてくる。
あれは、大西民子が言うように、「青空の見えぬ傷」からこぼれ落ちてきたものなのだろうか。
《傷》と聞けば痛々しい。
けれど、歌全体から聞こえてくる響きはすこしも痛々しくはない。
歌の中で、花びらは、むしろ恩寵のような静かなあたたかさで降って来ている。
見えない傷を持つ者を慰めうるものが、傷持つ者でしかないなら、てのひらをくぼめて待つ者に花をこぼしてくれる青空もまた見えない傷を持つものとして、彼女には感じられたのであろうか。
わからない。
わからないが、花びらはそれでも落ちてくる。
そして、わからないけれども、毎年この時季になると、この歌を思い出す。
それは、何も待つものとてない私にさえ、名残りの花びらが何か恩寵めいて思えるからであろうか。
しづごころなく散る花よりも、葉がくれに残った花が、ひとひらひとひら落ちてくるのは、ふしぎな安らかさを与えてくれる。
昔の人の、うつくしい消息を、遠く聞くような。