荒廃
幾時代かがありまして
茶色い戦争ありました
幾時代かがありまして
冬は疾風吹きました
幾時代かがありまして
今夜此処での一と殷盛(さか)り
今夜此処での一と殷盛り
― 中原中也 「サーカス」 ―
金沢の神明宮は犀川大橋の左岸にあって「おしんめさん」と呼ばれていた。
そして「おしんめさん」と言えば、かつてあの界隈における随一の神社であった。
子ども心にそう判断したのは、春秋のお祭りでの出店の数で、それは町内の家の前に注連縄が張られる諏訪神社のお祭りも、はたまた学校の行き来に通る闕野(がけの)神社のお祭りなぞもまったく比較にならぬほどの盛大さであって、その広い境内に子ども心を引きつけるさまざまな店がびっしりと並び、それは行けども行けども限りなく、その間を手に五円玉、十円玉を握りしめた子どもたちがひしめき合って行き来していて、いっしょに出かけた友だちにいったんはぐれてしまうと、なかなか再会できぬほどのにぎわいであった。
かつて、宮本輝の「泥の河」が小栗康平によって映画化されたとき(名作であった!)、その中の夜店のシーンで私が思い出していたのは「おしんめさん」のことであった。
さて、せっかく金沢に帰ったのだから、金沢の狛犬もすこしは見て来てみようと、近所のいくつかの神社を回ってみた。
それはそれで、なかなかおもしろかったのだが、寺町の坂を下りて神明宮にたどりついたとき、私はほとんど茫然としてしまった。
これが、あの「おしんめさん」であろうか!
幹の直径が3メートルはあろうかという大きな欅こそは残ってはいたが、境内は切り売りしたのであろうか小さくなり、残った境内もそのほとんどがただの駐車場に変わってしまっていたのだ。
そして狛犬は、と言えば、二頭ともその目の前に建てられた安っぽい建物の壁をにらんでいてその顔さえ見ることができないのであった。
こんな馬鹿げた目にあっている狛犬があろうか。
むしろ、打ち捨てられ廃棄されている方がまだましというものである。
いやはや、いったい、神社が荒廃していることに今さら驚くことはないのだが、それにしても、かつての賑わいを知っているからだろうか、ここまで寒々とした思いをしたことはなかった。
ひとの心も荒れたるなりけり であろうか。
さて、神社の鳥居の横には金沢市がつくったらしい神社の来歴が、すでに色褪せた文字で書かれていたが、中にこのようなことが書かれていた。
昭和初期の詩人中原中也は、幼年期を金沢で過ごした際、父に連れられて神明宮に軽業を見た自らの思い出を題材にして詩「サーカス」をつくったと言われている。
ことの真偽は知らない。
けれども、そのような興行が行われるほどに広い境内であったことは確かである。
それが今では・・・。
はてさて、はてさて、げにも、げにも
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
であることである。