凱風舎
  1. トップページ
  2. 凱風通信

のらねこのよしだもいきてるもん

 

 

 

 

 【ママの車が流された】3がつ11にちは、ようちえんのそつえんしきから、かえってきて、じしんがきた。わたしは、こわくて、ままをよんで、こたつのていぶるのしたに、かくれながら、ないていた。じしんが、よわくなってから、そとにはだしでにげた。ままだけ、じゃんばーとくるまのかぎをとりにいった。くるまで、ままとわたしで、こうみんかんに、にげたけど、いそいで、しょうがっこうに、にげた。くるまから、おりてはしって、かいだんをのぼった。すぐに、ままのくるまが、ながされた。とてもこわかった。よるは、くらくて、さむかった。(名取市閖上わかば幼稚園 玉田真菜)

 

 【犬もうさぎも死んだ】かなしいきもちだった。うちの犬のもかもまろもうさぎもしんだもん。いやなきもち。うちのねこのてつはいきてるけど、のらねこのよしだもいきてるもん。(仙台市若林区ろりぽっぷ幼稚園 高橋美咲)

 

 【うちへ帰ったら泣こうね】つなみがきたので一夜みなと小学校ですごしました。そとをみるとやけた船が川をながれていきました。ほどうきょうにのこされた人も見えました。あとひっくりかえったくるまがありました。つぎの日のあさ、こうていにくるまのガソリンが、つなみの水の、上にうかんでました。(略)かあちゃんがきたときあんしんしました。そしてかあちゃんはみんなおうちへかえったらなこうねといいました。(石巻市湊小学校1年 工藤祭)

 

 【パパは三日目にむかえにきた】つなみでおうちはながされてしまいました。わたしは学校のかえりみちとても大きなじしんがありました。こわくてしゃがんでいると、ちかくのひとがきて「学校にもどりなさい」といわれて学校にもどりました。それからすこしたってつなみがきました。おじいさんと5さいの男の子がながされました。こわくてないてばかりでした。次の日のおひるごろ、じえいたいの人がきて車でKうぇーぶまでつれていってくれました。
 パパがむかえにきたのは三日目でした。ママとおじいちゃんとおばあちゃんといもうとは、どうなったかととてもしんぱいでした。ママたちにあえたのは、四かめのよるでした。そのときにたべたおにぎりはとてもおいしかったです。うみを見るとつなみがきているみたいでこわくてないてしまいました。(気仙沼市南気仙沼小学校1年 佐藤礼奈)

 

 【津波は黒くてくさかった】つなみのせいで大切なものがながされました。まどから見てたら50メートルいじょうありました。でもがんばって学校で一日すごしました。黒っぽいつなみでした。くさかったです。(仙台市若林区東六郷小学校2年 中村まい)

 

 【お父さんは火葬になった】3月11日5じかんめの国語のじかんに大きな地しんがありました。そのときないた子もいました。先生がだいじょうぶだよといっていました。そのあとぜんいんでこうどうにいきました。おじいちゃんがむかえにきてくれました。ぼくとおじいちゃんがとおばあちゃんとおにいちゃんでサンファンに行こうとたら、おとうさんはかいしゃにいくといってしまいました。
 (略)つなみがきました。なんとかまにあいました。そしておばあちゃんがおてらでおにぎりくばってるみたいだよといってから、ずーとどうげいいんでとまることにしました。3日めにやっとおかあさんにあえました。4月10日におとうさんがみつかり、一週間後、おとうさんのかそうを、しました。(石巻市渡波小学校2年 鈴木智幸)

 

 

 【ゴゴゴゴと津波がきた】水門をふつうにこす津波がおそってきました。学校のフェンスをこわしながら学校におそいかかりました。ぼくはいそいでにげました。余震がつづき電信柱がたおれそうでした。それを見てすぐにげました。山の方にダッシュでにげました。津波のゴゴゴゴという音がすごかったです。三回れんぞくの津波がきてびっくりしました。家も車もめちゃくちゃで夢を見てるようでした。
 (略)自衛隊のお風呂に入れた時はとても気持ちよかったです。自分の家は見にいってなにもなかったです。そしてぼくが「夢だったらいいなー」と言いました。そしてお母さんも「そうだね」とかえしてくれました。(大槌町赤浜小学校3年 柏崎功真)

 

 【流れている車と人】流れてきた木材といっしょに、車もながれてきて、その車の上に人がいました。外には雪がふっているし、その人はびしょぬれで、そのうえはだしで、とても寒そうです。ロープをのばせばらくらくとどくくらい目の前にいるけど、助ける方法もなく、ただかわいそうだなと見ているしかありませんでした。でもそのうちじいちゃんが二階からロープをさがして、ベランダからその人に投げて、その人の体にロープをしばりつけ、となりにあった電柱をよじのぼって、家の二階まで来ました。その人に下着などの服以外のきれる服をやりました。その人は「ありがとうございます」と何度も言ってました。(東松島市大曲小学校3年 杉浦遥)

 

 【こんな陸前高田になってしまった】たかだいににげるときによこを見たらつなみがそこまできていてぜんりょくで走りました。それがこんなりくぜん高田になってあんなにいっぱいあったまつの木も一本だけのこってあとのはがれきでした。(陸前高田市高田小学校3年 及川佳紀)

 

 【戦争が終わったあとの町みたい】外はいつの間にか、雪がちらついていました。寒さで、目がさめたとたん体と手がふるえました。学校の時計はとまっていました。学校はたくさんの人たちで、ごちゃごちゃしていました。お父さんがむかえにきてくれました。山へにげるとちゅう、津波がきました。水はあっというまに、がれきと一緒に流れて来ました。近くのマンションに、にげました。二日後に水が引いたので、学校へひなんしました。町はたくさんのがれきでいっぱいでした。せんそうが終わったあとの町みたいでした。(石巻市釜小学校4年 鈴木彩花)

 

 【お母さん、ぼくは無事だよ】次の日の朝、外に出て学校側を見ると何メートルもはなれた家で何でも流れついていました。そしてところどころには、ふくやがれきなどが流れついていました。二回目ににげた場所を見るとがれきの上に車の前がささっていました。そして中にもどりばあちゃんの話を聞きました。「よく聞けよ。にいちゃんのどうきゅうせいの人とよくおせわになった畑のばあちゃんがつなみに流されてなくなったからな」。(釜石市鵜住居小学校4年 小笠原響綺)

 

 【ねこにあげたい】おばあちゃんの家にはねこがいた。しかし地震があった日から行方不明になってしまった。どこかで生きていてほしい。もし、ねこが見つかったら、魚のかんづめをあげたい。(南三陸町伊里前小学校4年 千葉響稀)

 

 【テレビは見ることができなかった】三月十一日、十四時四十六分、東日本大震災が発生した。いっしゅんにして、多くの物と命をのみこんだ。ぼくの家も学校も町も‥‥。近所の、とてもぼくをかわいがってくれたおじいちゃんおばあちゃん達の命も、そして宮古のしえん学校に通っていたお兄ちゃんとも会えなくなった。その後、何日も大きなよしんが続き、なかなかねむれなかった。ふとんの代わりに、ダンボールと新聞紙を使った。
 (略)約一週間たって、ぼくたちは甲子小学校にうつった。電気はつくし、水も流れていた。食べ物もだいぶ良くなり、おかずやみそ汁もでるようになった。テレビも見れるようになった。うれしいはずのテレビも、震災のことばかりで、三月十一日のあの日を思い出し、こわくて見ることができなかった。母に「何か買ってあげる」と言われても、今なにがほしいのか、前はほしい物がたくさんあったのに、今はなにがほしいのか、わからない。(釜石市鵜住居小学校4年 黒澤海斗)

 

 【一階の天井が落ちていた】最初、父が来た。でもその日は父は当直の日で、ちょっと話して、すぐ行ってしまった。その後に母が来た。母は一緒に住んでいたおばあちゃんをむかえに行くため、戻った。その後だった。津波けいほうが放送で流れたから、二階に行った。そのとき何気に見たまどから、家とのすき間から水がサーとくるのが見えた。
 (略)その日は、ごはんもなくて、うがいのために持ってきていた冷たいお茶で水分をとっていた。余震が続いていたから、こわくてずっとつくえの下にいた。ラジオできんきゅう地震速報が流れていた。新聞にくるまってねたけど、足ものばせないし、ジャンパーを来ていても寒く、このままねたら死んでしまうんじゃないのかと思うくらい寒かった。やっと朝日がのぼって来た。長い長い夜だった。
 二日目、父が来た。飲み物を持ってきてくれた。毛布らしきものも持ってきてくれた。(略)三日目、父が家に行った。その時、父がけいたいを持っていかなかったから、ひまだったから、メールの所を見ると、母からのメールでおばあちゃんが流されたという事を知った。車にのせたまま流されたらしい。(略)五日目ぐらいに震災後、初めて家に帰った。家の前には、家の屋根があった。ヘドロがはんぱなく、くさかった。一階はてんじょうが落ちていて、時計は2時46分で止まっていた。(石巻市大街道小学校5年 水越咲良)

 

【お母さんはまだ見つからない】その時、わたしたちは、大槌小学校にいました。じしんが起きて、みんなつくえにかくれました。わたしは、もう、なみだがとまりませんでした。(略)そのあと、しろ山体育館の広場に集まっていたら、「ゴゴゴゴゴ」という地鳴が聞こえました。その時つなみが土けむりをまい上げおそってきました。そして、ちょう上まで走ってにげました。そしてにげるとつなみを見ました。家から家と火がつたわってついに、海にまで火がついていました。
 (略)その夜にやっとパパに会えました。お母さんは、まだ見つかりませんが、かならず見つけて、三人で仲良くくらしたいです。(大槌町大槌小学校5年 八幡千代)

 

 【私の家も宝物もなくなった】三月十一日の地しんが発生した日、私は教室を出てそうじをしていました。みんなが「地しんだ」と言ったとたん、強いゆれが発生し、私は急いで教室にもどりました。友達と手をつなぎずっと続いた地しんをたえていました。教室の中はいろんな物がたおれて、ぐちゃぐちゃになっていました。地しんの次は大つなみ警報が出てきました。外から走ってくる人が「つなみだ」とさけんでいる声が聞こえ、私は屋上に走ってひなんしました。車やがれきが流れてくるし、人はおぼれているしで、本当にこわくて悲しい気持ちでいっぱいでした。
 つなみは学校の二階まであがってきました。海の方を見ると火事で火がたくさんの所に広がっていました。さらに雪がふってきて、とてもこおるような寒さの中、つなみが引くのを見ていました。
 私の家はもう流されて、ありません。宝物も流されてしまいました。私が生まれ育った閖上(ゆりあげ)がこんなにも変わってしまって悲しいです。(名取市閖上小学校6年 橋浦優香)

 

 【お父さんとガレキの中に立っていた】お父さんと車で街を見に行きました。とてつもなく悲さんな状況でした。信じられなかったです。家が全然なく、もちろん僕の家もなかったし、おばあちゃんの家もありませんでした。ショックを受けました。これからどうしょうと思い、お父さんとガレキの中に立っていました。(陸前高田市高田小学校6年 照井匡)

 

 【だるさ・吐き気・へんな感覚】三月十一日と十二日で、水は私の頭位まで上がってきましたが、夜になるとちょっと水がひいた感じがしました。その次の日、私はとても気持ち悪い感じがして起きました。のどはカラカラで、口の中は臭い感覚がありました。急いで水を飲みに行きました。しかし何はい飲んでも、だるさ・吐き気・へんな感覚は残っていました。(石巻市貞山小学校6年 佐藤未夢)

 

 【家は半壊で家族は一緒】私の家は半壊でした。それまで大切にしていた沢山のものがなくなったことはとてもつらくて悲しいです。でも、物はなくなっても家族が皆生きてこうして一緒にいられることが、私にとって何より大切です。(南三陸町志津川小学校6年 山内瑞歩)

 

 

 

以上は 
   文藝春秋2011年8月臨時増刊号 「《つなみ》 被災地のこども80人の作文集」
にのっていた作文だそうです。

 感想は各自がお持ちになるであろうのでコメントは書きません。
 文章は年齢順になっています。