辛夷如雪
烏塘渺渺淥平堤
堤上行人各有携
試問春風何処好
辛夷如雪柘岡西
烏塘(うとう)渺渺(びょうびょう)として 淥(す)んで堤と平らかなり
堤上の行人 各(おのおの)携(たずさ)うる有り
試みに問う 春風何(いず)れの処か好(よ)き
辛夷(しんい)雪の如し 柘岡(しゃこう)の西
― 「烏塘」 王安石 ―
こんな詩を読むと心が暢暢としてきますな。
こころみに注を頼りにいいかげんなわたしの訳を示せば下のごときであろうか。
烏塘はひろびろとして 澄みわたった水は堤と同じくらいの高さまで満々としている。
土手の上を歩く人たちには 誰もがみんな連れがある。
ちょっと尋ねてみようか どこの春風が一番すてきだい?
そうさなあ 辛夷の花が雪のように咲いている柘岡の西だな。
残念ながら金沢の家とちがって、この近くに川は流れていないが、春はそんなやわらかな風が吹く川べりをゆったり歩いてみたい。
できれば気の合った人を携えながら。
…などと思うのは私だけではない、という話が、そういえば、『論語』に載っております。
(「先進第十一」)
あるとき子路(しろ)と曽晳(そうせき)と冉有(ぜんゆう)と公西華(こうせいか)という四人の弟子が孔子の周りにいたことがあったというんですな。
たぶん、くつろいだ席だったんでしょう。
孔子先生が言います。
「君らは集まるといつも、世間はだあれも自分の真価をわかってくれない、などと言うておるが、自分が認められ用いられたとしたら何をするつもりか言ってごらんなさい。私が先生だからって遠慮することはないよ」
すると、子路をはじめほかの弟子たちは国を治めるべきなかなか立派な抱負を述べる。
孔子さんは笑いながらそれを聞いている。
で、それまで瑟(しつ)という楽器を膝に置いてつま弾いていた一番年下の曽晳に孔子さんが
「点君、君はどうかね」 (「点」というのは曽晳の字(あざな)ですな)
と言うと、曽晳は瑟をカタリとかたわらに置いて、居ずまいを正してこんなことを言うんです。
「私の考えは、皆さんとはずいぶんちがうんで、言いづらいんです」
「いやいや構わないよ、みんなそれぞれ自分の抱負を述べているだけだ、遠慮なんかしないでいいぞ」
そう孔子さんにうながされて曽晳は言うわけです。
暮春、春服成る。
冠するもの五、六人、童子六、七人。
沂(き)に浴し、舞雩(ぶう)を風し、詠じて帰らん。
《春も四月になったころ、仕立て上がった春の服を着て、大人五、六人、それから十代の若者六,七人といっしょにピクニックに出かけます。
そうして、沂水の川に入り、舞雩の広場で風に吹かれ、そうして歌を口ずさみながら帰って来るというのがわたしの思いです。》
それを聞いた孔子さんが、はあぁ、とため息をついて言うんですな。
「点君、わたしも君と同じ気持ちだよ」
いいですなあ。
孔子さんもやっぱり春はこうしていたい。
あかるい水辺を気の合った者と歩きたい。
はてさて、下の写真は「辛夷如雪」と見えるでしょうか。
習志野は古墳公園の埴輪の馬のところの辛夷の花です。
「きれいねえ」
「ねえ、ほんとにきれい」
おばさんが二人、花を仰ぎながら、いかにもおばさんらしく話していました。
それもまたわるくないものです。
今日は春の彼岸の休日です。