なほうつくしき
ひとの世に混り来てなほうつくしき無紋の蝶が路次に入りゆく
安永蕗子
― 「現代の短歌」 (高野公彦編)―
四日ぶりに外に出た。
あたたかい、というより、歩いているとすぐに汗ばんでくるほどに暑い。
この季節、四日も外に出なければ風景はすっかり変わってしまっている。
梅の花びらは散ってみな赤い蕊だけになり、桜はそれぞれの枝先に皆、もう一つ二つ開いた花がつけている。
緑が一段と濃くなった道端にはそこここにタンポポが黄色の花をつけて、ゆく道をあかるくしている。
毛深い苞に包まれていたコブシやハクモクレンはそれを脱ぎ捨てて花を開き、その白さで春の青空をいっそう青くしている。
そして虫たち。
蜂は花々に顔をうずめてはまた飛び、テントウムシやカメムシはもう葉の先止まっている。
一方まだ稀な蝶はただひらひらと舞いながらひとところにとまろうともせず低徊し、不意に高みにのぼって青い空へ消えていく。
それらはモンシロチョウだったりモンキチョウだったりするのだが、舞い飛ぶ彼らのその紋は目に見えない。
ただひらひらとひらひらと目の前をよぎり光の中に消えてゆくばかりだ。
蝶はそのあえかな飛び姿から亡くなった者たちの魂がこの世に舞い戻ったかのような印象をひとに与えてきた。
子を失くした親たちは、その葬儀の日や墓参りの折に蝶の飛ぶのを見ればみなそれを失くした子が何かを告げに来たのだと思うものだ。
「無紋」とはすでにひとの世の係累を脱したもののしるしであろうか。
かろやかな飛びはそのことによるのだろうか。
むろん、そんなことは考えなくてよい。
ただ、このひとの世に混じってもなお美しいものがわたしたちの周りにいることを思えばいいだけだ。
そのようなものたちがいてくれることを私たちが忘れねばいいのだ。
ひとの世に混り来てなほうつくしき無紋の蝶が路次に入りゆく