金魚
子が問へる死にし金魚の行末をわれも思ひぬ鉢洗ひゐて
島田修二
― 「現代の短歌」 (高野公彦 編)―
金魚が死んだ。
一匹だとかわいそうだと子どもたちが言うので、今年になって、三匹小さな金魚を買ってきた。
一匹38円。
三匹で114円だった。
中の一番小さな一匹はよく見ると胸びれが片方なかった。
それでもけなげに動いていたが、ほかのものより餌にたどり着くのが遅く、それで、毎日やって来る三年生の子どもはその金魚も食べられるようにと多めに餌を上げていたが、ある朝、その金魚が藻の間で動かなくなっていた。
すくい取ると、私の小指の先から第一関節をわずかに越えるほどの大きさしかなかった。
本当に小さな金魚だった。
それからほどなく残った二匹の小さな金魚が相次いで死んだ。
そして、今日の午後、本から目を上げると、前からいた大きな金魚も水槽に浮かんでいた。
今朝、ヤギコが水を飲んでいたときはまだ生きていたのだが。
少し前から体に白いカビ状の物が付着して弱っていた。
ひょっとすれば、あの三匹がもたらした病気なのかもしれないが、それを言ってもせんないことだ。
薄い塩水につけてカビをとったりしたのだが、昨日にはもうえらを動かすのもまれなほどになっていた。
この金魚はブラジルに帰ったツヨシ君がくれたものだ。
そのころ小学生の彼を可愛がっていた中学三年生だった娘たちも今は大学生になっているから、ツヨシ君も彼の地でもう中学生になっているのだろう。
魚(うお)であるゆえもともと閉づべき瞼を持たないので、金魚はみな目を瞠(みは)ったまま死んでいく。
レンズとしての働きはなくなっていない見開かれた眼球は死んだ後もその網膜に像を結んでいるのだろう。
ただ、それを脳に伝える機能は停止してしまったのだ。
最初の小さな金魚が死んだとき、彼の目は生まれてからいったいどんなものを映して死んでいったのだろうと思った。
今日もまたそんなことを思った。
この金魚の目玉も最後に私の指を映し、黒く湿った土におおわれてしまった。
やがてその目玉は彼の体の中で最も早く腐敗し溶けていくのだろう。
昔、子どもの頃死なせた鳥もまず目から腐敗は始まっていった。
引用の歌は以前も引用したように思うが、金魚の死で思い出す歌はこれしかないので今回も載せた。
彼らが生きた水槽はまだ洗っていない。
きさらぎの冷たき雨は降りてをり死にし金魚を土にかへす日
土に還す金魚はまぶた持たざればまなこ見開き掌の中にあり
みんながいたころ