凱風舎
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安岡章太郎さん

 

 新学期がはじまったが、ぼくの生活はまったく変りばえがなかった。相変わらず学校を怠け、堕落することにも熱意がなかった。

 

  ― 安岡章太郎 「質屋の女房」 ―

 

 

 昨日亡くなられたという安岡章太郎さんをぼくは一度だけ見たことがある。
 大学生の頃、金沢の北国講堂で行われた講演会を聴きに行ったのだ。
 舞台に出て来る前、安岡さんは、まるで中学校の文化祭なんかに時々いるいたずらっ子みたいに舞台の袖の幕の間から、ひょいと顔だけ出して、まるで場違いなところにまちがってきた人のようにテレくさそうに笑った。
 当時彼は50歳前後だったのだろうけれど、本当にいたずらっ子がそのままおじさんになったみたいだった。
 その笑いは、彼の小説の言葉を借りれば

  テレたような、だまってオナラをした人がするような笑い
                        (「ガラスの靴」)

とでも言おうか。
 ぼくは
  ああ、安岡章太郎だ
と思った。
 彼は自分が書いている文章そのままの人だった。
 その時演壇に立った彼が何を話したのかはまったく覚えていない。
 覚えているのは、あのときの彼のコマッタような笑いだけだ。
 そして、それを見ることができただけで、ぼくは十分満足したのだ。

 高校から大学にかけて、ぼくは彼の小説やエッセイが出るたびに買って読んでいた。
 好きだったのだ。
 彼は自分が劣等生であり、無精であり、怠惰であると書いていた。
 しかし、彼はそこから立ち上がったり、脱け出したりするようなそんな話はすこしも書かなかった。
 かと言って、いじけたり、すねたりするわけでもない。
 自分のどうしようもないダメさの上に坐っているだけなのだ。
 彼には、今で言う「プラス思考(志向?)」などというものは何もなかった。
 彼はそんな「プラス思考」をする人たちを論難したり、批判したりはしない。
 ただ、自分はそうではない、そうはなれない、とつぶやくだけなのだ。

 文学というものが自分を見つめるところから始まるものだとすれば、安岡さんはまさにその一点からだけは、頑固に、あるいは無精に動こうとしなかった人なのだと思う。 

 ぼくが無精であり怠惰であるのは彼のせいだなどと言いはしないが、ひょっとすればぼくの精神の何パーセントかは彼によって形づくられているのかもしれないと、彼が亡くなった今思ったりする。