凱風舎
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もう止めなさい

アルマジロ
ヤヌス・メッツ監督

デンマークのドキュメンタリー映画を観てきました。
軍隊ものです。それもアフガニスタンの。

題名のアルマジロというのは、アフガニスタンの対タリバン戦線の前線にあるデンマーク軍基地の名前です(デンマークがアフガニスタンに軍隊を送っているのですね、知りませんでした)。
そこに送られるデンマーク兵の若者の6ケ月間を取材します。

みていて現実感が、ありません。
実際のアフガニスタンが写され、そこでの日々がつづられていくのですが、あまりにも現実感がありません。

みながら、この現実感のなさは何かということを考えていました。

その原因の一つは、彼らの現地での振る舞いというものが、私がこれまでにみた戦争映画、とくにプラトーンやフルメタルジャケットにあまりにも相似しているというところにあるのかもしれません。
本物の戦争を写しているはずの映像が、戦争映画に似すぎているのです。

そこには、威勢のいい小隊長(ラスムス)がいて、伏し目がちな新兵(メス)と、好戦的な新兵(ダニエル)と、朝鮮系の衛生兵(キム)、それにこのカメラをとっているであろう通信兵がいます。

彼らは、日々パトロールと称して近隣の村を練り歩きます。
村には村でそこに住んでいる住人がいて、タリバンではないけれども彼らデンマーク兵を心地よく思っていない住人や、兵士が何かくれるのではないかとよってくる子どもたちやらがいます。
村人たちからは、お前らのせいで家が壊された、家畜が死んだと詰め寄られます。タリバンに関する情報提供を求めると、お前らは安全な基地で過ごしているが、我々が少しでも口を開こうものなら、飛ぶのは我々の首なんだよと言われます。

パトロールが続く日々に、若者たちは次第に焦れてきます。
このまま、パトロールが続くだけじゃ胸を張って帰れないじゃないか。
早く本物の戦闘がしたい。。。

ここに映し出されているのは、兵隊は若者です。
一日の任務が果てれば、どでかい衛星通信機能付きの携帯で母親と話したり、仲間たちで集まってインターネットでポルノを観て「こんな女医がいる病院にオレも行きてぇ」とか言っている若者たちです。
彼らのような若者が、がなぜアフガニスタンに来たのか?問われたメスはこう答えます。
「仲間と刺激」

そんな作り物じみた「戦場」が一気に本物の戦場になる時が訪れます。
今まで何かオブラートのようなものに包みこまれていたスクリーンが手榴弾の一撃により一気に剥き出しの現実となって、観客の目の前にさらされるのです。

そこに写されるものはあまりにも無残で、残酷で、情けなくてどうしようもないものです。

一方で決死の作戦を行い、それを遂行した彼らは超ハイテンションになって浮かれ騒ぎます。
彼らもそこで初めて本当の戦闘を行い、バランスが崩れているのです。

カメラは、そこにいて、それらを写しています。

みていて私は、ある老人のことを思い出していました。
その老人は「91歳で、37年間一日も休まず銀行に通い続けていた。」

老人はわたしのようなテレビの見方をしなかった。
老人のテレビの見方は他のだれとも全然ちがっていた。
老人は役者たちがわめいていたり、パンティをおろしたり、会社乗っ取りを企む総会屋たちと戦争責任のなすり合いをしているテレビの画面に向かって話しかけるのだ。
「もう止めなさい」
前のドラマで義理の娘を犯し、実はその娘の行方不明の兄であったことが最終回で判る東洋フェザー級8位のボーイフレンドに、散弾銃で撃ち殺されたのんだくれの悪徳弁護士は新しいドラマでは旧制高校時代の同性愛体験の悪夢に悩む少壮の脳神経外科医として登場し、かたっぱしから他人の頭を切開しはじめた。
「もう止めなさい」
–略–
「もう止めなさい」と老人は言った。
老人はギャングたちが銀行中を死と暴力の恐怖で蹂躙している間もテレビの画面ばっかりみつめていたのだ。
ドラマの中でギャングたちはものすごい血の海に沈んでいた。
エリオット・ネスはクールな顔つきでコルトディテクティブ38をケースにしまった。
「死は悲しい」とエリオット・ネスは言った。
「もう止めなさい」と老人は答えた。
(「さようならギャングたち」高橋源一郎)