石工 音五郎
正月も七日を過ぎて、根神社の本殿の脇に張られていた青いテントもなくなった。
というわけで、その前に立つ一対の狛犬もちゃんと見えるようになった。
遠目に見る背中の線からしてすでになにやら古風である。
さて、その風貌はというと、こんなのである。
向かって左の方の奴は
こんな感じである。(逆光失礼)
両足を踏ん張った様子も、口の開け具合もほぼ左右対称の一対である。
先日紹介した同じ神社の〈子煩悩な狛犬〉に比べると、顔もまたどことなく「古拙の風」が漂う。
裏に回ってみると、その背中はやわらかな曲線で過剰な装飾もなく、そこはかとない哀愁をただよわせて、なにやらかわいい。
背中の下の方にはぴょんと上げたしっぽが張りついていて、その左右にはそれぞれ二つづつ半球がついているのだが、右側の二つの半球には乳首みたいなのまで付いていて、なんだか笑ってしまう。
さて、台石の泥を払って銘を読んでみると、
嘉永四年 歳次 辛亥 秋八月吉日
とある。
嘉永四年は1851年にあたる。
中国で太平天国の乱が始まった年であり、日本にペリーがやって来る2年前である。
遠山の金さんやら歌川広重なんかがまだ生きている時代である。
なかなかすごい。
さて、台石には寄進者の名前も彫ってある。
長左エ門
五郎左エ門
加兵エ
善兵エ
佐左エ門
五郎兵エ
与惣兵エ
治郎エ門
庄右エ門
五右エ門
喜左エ門
金左エ門
権四郎
うーん、どれも味わい深いなあ。
私らの先祖たちもみんなこんな名前だったんだろうなあ。
そして、その名前の最後には、この狛犬を彫った男だろう
石工 音五郎
少し大きく彫ってある。
いいなあ。
ところで、長左エ門さんも五郎左エ門さんも、みんな二年後江戸湾にやって来た黒船を、きっとこの神社の岡に上って手をかざしながら眺めたんだろうなあ。
もちろん、この二頭の狛犬も見てたんだな。