ファン
――人生にとって野球とは何か。
そんな哲学的なものは持っていません。
最も愛した、好きなものかな。
― 松井秀喜・引退記者会見 ―
夕刊に、松井の引退会見が報じられていた。
それでひさしぶりにテレビのニュースを見た。
その記者会見の映像は7時のニュースのトップで伝えられた。
それを深い感慨を持って見た。
その思いを単純なひと色の言葉ではうまく言えない。
そうであるには、たぶん私にとって、松井は自分が思っていた以上に、大きな存在として自分の中にいる男だったのだ。
引退会見を見ながら、私はそのことにはじめて気づいた。
それは何も私だけではなく、多くの石川県出身者にとってもそうだったはずだ。
そして同じく、彼の引退会見を見ながら、あらためて、自分の中にいた彼の存在の大きさに気づいたファンは全国にたくさんいたはずなのだ。
熱狂的、というのとはちがう。
けれど、ひょっとして、ほんとの好きなもの、とか、贔屓、とかいうものは、そんなものなのかもしれないのだ。
いなくなってはじめてその意味がわかる。
だから、今言えることはただ
自分はホンマにあいつのファンやってんなあ
ということだけなのだ。
さびしい気持ちと、ホッとした気持ち。
「今の心境は?」と聞かれて、彼はそう答えていた。
さびしい気持ちと、ホッとした気持ち。
それは、彼の引退を聞いた全国の松井ファンが今持っている気持ちでもあるのだと思う。
そして、自分が、「人生にとって野球とは何か」をきかれて
そんな哲学的なものは持っていません。
最も愛した、好きなものかな。
と静かに誠実に答えた男のファンであったことを心のどこかで「誇り」に思っているのだと思う。