凱風舎
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朗読

 

 

  ある朝 僕は 空の 中に、
 黒い 旗が はためくを 見た。

 

   ― 中原中也 「曇天」 -

       

 

 私が高校生だったころ昼の二時過ぎからのNHKの番組に「婦人手帳」というのがあった。
 ふだんは服飾やインテリアなどということをやっているらしかったが、時折、小説家や詩人がでてきて、自分の好きな小説や詩について話すという週もあった。
 たまたま試験期間で学校が早く引けた日、テレビをつけたら、その番組で山本太郎という詩人が詩の朗読をやっていた。
 山本太郎という詩人は知らなかったし、今も詩人としての山本太郎について私に何の意見もないが、彼が読んでみせる詩の朗読は、どれも一級のものであった。
 彼は、自分がその詩に一番ふさわしいと思う読み方をした。
 ある詩は、たたみかけるように性急に、またある詩は、歌うように朗々と、そしてある詩は、何の感情も交えずに淡々と。
 そのどれもがすばらしかった。 
 その後、ラジオやテレビで役者たちが読むさまざまな詩の朗読をたくさん耳にしたが、彼ほどのすばらしさで詩を読む人を聞いたことがない。

  さて、そんなある日、山本太郎氏は、中也の「曇天」を朗読した。
 彼はその詩をことさらに何の感情も込めずに、詩の表記のまま、言葉と言葉の間に十分に休符入れながらゆっくり時間をかけて、こんなふうに朗読したのだ。

   ある朝(・・・・)僕は(・・・)空の(・・・)中に、(・・・・・・・・・・)
  黒い(・・・)旗が(・・・)はためくを(・・・・・・)見た。(・・・・・・・・・)

 すばらしかった。
 私はすっかり感動してしまった。
 そして、自分がまったくこの詩を理会していなかったのだと思った。
 それほどに、この詩の朗読はすばらしいものだった。

 異様に暖かった前日とはうって変わって寒々とした曇り日だった昨日、ゆくりなくそんなことを思い出した。

 

  ある朝 僕は 空の 中に、
 黒い 旗が はためくを 見た。
  はたはた それは はためいて ゐたが、
 音は きこえぬ 高きが ゆゑに。

 

  手繰り 下ろそうと 僕は したが、
 綱も なければ それも 叶わず、
  旗は はたはた はためく ばかり、
 空の 奥処(おくか)に 舞ひ入る 如く。

 

  かゝる 朝(あした)を 少年の 日も、 
 屡々(しばしば) 見たりと 僕は 憶(おも)ふ。
  かの時は そを 野原の 上に、
 今はた 都会の 甍(いらか)の 上に。

 

  かの時 この時 時は 隔つれ、
 此処(ここ)と 彼処(かしこ)と 所は 異れ、
  はたはた はたはた み空に ひとり、
 いまも 渝(かは)らぬ この 黒旗よ。