自民党に投票した人たちへ
ぼくは、反戦教育を受けて育ちました。
戦争を起こしたのは、一部の上層の軍人。
年貢を取り立てて百姓を苦しめるのは、いつも役人。
ぼくの母親は、いつでも、偉そうに、あるいは愛想よさそうにしている選挙人を見ては、
フンッ!としている人でしたし、たぶん今でもそうです。
石原なんかの発言がテレビで出ると、さも不愉快そうにしていたし、たぶんいまでもそうです。
つまり、人間なんて、そんな大層立派なことを言ったところで、
結局は自分のことしか考えていない、表向きの表情に隠されているそのふところには何を隠しているの?
という、まあ、あんまり健全とはいえない教育を受けてきたわけです。
でも、ぼくは、ぼくの受けてきた教育を恥じてはいません。
全然。
むしろ、ぼくの、唯一のとりえじゃないかと自負している、批評的な、冷笑的な視点は、
そういった教育姿勢によってはぐくまれたものなんじゃないかなと思っています。
そういう意味で言ってみると、今回の選挙の結果は、かなり、絶望的です。
ええ、シャレにならないくらい。
民主主義の危機だとすら思っています。
本気です。
ぼくが、今回、この選挙で後悔しているとすると、それは、ここで、このブログという与えられた場所があるくせに十分自民党の取り崩しをしてきたのかということです。
ええ、選挙活動をしなけりゃならなかったと思います。
禁止されているネットでの選挙活動をしなければ、ならなかったんじゃないかと思います。
自民党に対するネガティブキャンペーンでもなんでも、するべきだった(ちょっとしたけど)。
これは、民主主義の危機です。
ぼくは、本気で言っています。
小田嶋隆は以前、大阪市の体罰の是非を問う議論の中でこう言っています。
—私がいま申し上げているのは、非常にぬるま湯的な主張だ。
それ以上に、「きれいごと」であるかもしれないし、「いい子ぶった」ご意見だと言われたら、ほとんど反論できない。
が、民主主義というのは、そもそも、建前を大切にする決意のことだ。
われわれは、迂遠であっても建前を遵守する体制を選んだ。だから、ここでのポイントでは、決して譲歩することができない。
別の言い方をするなら、民主政治というのは、効率や効果よりも、手続きの正しさを重視する過程のことで、この迂遠さこそが、
われわれが歴史から学んだ安全弁なのである。
ぼくは、今回の結果は、転落するスリルを楽しむためのジェットコースターの役割としては、そのリスクが高すぎると考えています。
かなり、絶望的です。
ホントは、平田オリザのアゴラ青年団の演劇の観劇料の法外な安さについて書こうとおもったのですが、
むなしさが先行して、どうにもなりません。