凱風舎
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要望

 

 

  私と朽助とは一しよにお湯に入って、湯から首だけ現はして談話に耽つた。
「眼鏡を脱ぎなさると、あんたは尚さらにアグリーですがな。早う眼鏡をかけとりなさいというたら。したれども、私はこれをかけてみたろ。」
 (中略)

「あんたはなんぢややら痩せとりなさる。まして近頃アグリーぢや。」
「貧乏のせゐだらう。」
「つがもない!所詮は女のためでせうがな?」
「アグリーではさういふ話もない筈ぢやないか。」
「万事はここですがな!」
 彼は湯から胸を現はして、その皺のよった胸を平手でたたいた。そして先にお湯を出て行つた。

 

 ― 井伏鱒二 「朽助のゐる谷間」 ―

 

 

 昨日の夕方、期末試験が近いというのでやって来た高校生のカッチンが私の顔を見るなり、いきなり笑い出して
「そっかぁ、せんせ、髪の毛短くしたんだったよね」
と言う。
 なんとおっしゃるウサギさん!
である。
 あの日、あんなにもうれしそうな顔をして、電動バリカンを手に、私の頭部から掃除機が詰まるほどの大量の髪の毛を除去なさったのは、他の人にあらず!
 あなたぢや、ありませんか!
 自分のやったことも忘れて、人を笑うなんて、そんなの、人倫にもとりますぜ。
 こんな難しい言葉、あなたは知らないかもしれないから教えておきますが、「人倫」ちうのは、「人の道」ってことですよ。
 「もとる」ちうのは「悖る」と書いてですな、「道にはずれる」ってことです。
 わかりましたか?

 「だって、髪の短いせんせって、先生じゃないみたいなんだもん」
 カッチン、やっぱり笑いながら言う。
 まあ、俗に「箸が転げても可笑しい」と言われる年代ですからね、ちょっとでもふだんとちがったことがあれば笑ってしまう。
 まして、自分のやったことが一月以上たってもその効果を消さずにいたってのが可笑しくてたまらない。
 「電話で話してたときも、髪の長い先生のイメージしかなかったんだもん」
 責任感がないなあ。
 ヨワッタモノデス。
 そんなことを言うやつには、勉強は教えないよ!

 あのですね、内田樹先生がですね、以前、女の人が男の心をつかむ秘訣を書いておられた。
 それは、きわめて簡単なことなんです。
 曰く 
   その男の容貌を褒める!
 これだけです。
 そのことが書いてあった本は人にあげて、もう手元にはないが、内田先生、キッパリと、そう書いておられた。
 ・・・ということを、私が覚えているというのはですね、
  なーるほど、そうだよなあ!
と、心から思ったわけで、ということは、何を隠そう、私自身、きっと自分の容貌を褒められるとうれしくなるだろうなと思ったわけで、そして、これを「だろうな」などという推定表現として書かざるを得ないというのは、不幸、わたくし、60年間、一度も、そのような光栄に浴する機会がなかった、というわけです。

 我が愛する朽助氏は
 「万事はここですがな!」
と胸をたたいたらしいが、ホントは、どうも、そうではない、らしい。
 ですからですね、まちがっても、女性の方々は、いかに親しい仲でも、男性に面と向かって、朽助のように
 「あんたは、まして近頃アグリーぢや。」
などと言ってはいけませぬぞ。
 まあ、先生になんぞ言う必要はないが、そうではない男性、特に慣れ親しんだ恋人や夫にはなおさらに、その容貌を褒めてあげて下さいませ。
 きっと、その人よろこびますぜ。
 すくなくとも内心、跳びあがるほどに!

 えー、なぜ男はそう言われるとよろこぶのかについて詳しく知りたい方は
  内田樹 「ひとりでは生きられないのも芸のうち」 (文春文庫)
をお読みください。
 きっと、膝を打ちます。