凱風舎
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くだらぬことばかり覚えている

 

  アトレウスの子メネラオスは(中略)、影長く曳く槍を後に引き構えて投げ、見事プリアモスの子の形のよい楯に当てた。堅剛の槍は見事な造りの楯を貫き、豪華な細工を施した胸当てまでも通して真直ぐに進み、脇腹をかすめて肌着を切り裂いた。

 

 ― ホメロス 「イリアス」 (松平千秋 訳) ―

 

 こう見えたって、高校時代の私は水泳の選手であった。
 私が一年生の時、新人戦か何かで賞状をもらって、翌日顧問の教師に見せたら
 「いやあ、10年顧問をやっとったが、賞状を持って帰って来たのは、君がはじめてだ」
と言われた。
 言うまでもないが、そんな弱小水泳部の大会などに、顧問は来たりしていなかったのである。

 さて、では、そのようにわが水泳部の歴史にそれなりの光を添えた私がクラスの中の「体育ヒエラルキー」のどこに位置していたか、といえば、まあ、お世辞にも上位にいたとは言えないのである。
 はっきり言って、私、水泳以外の体育がまるでダメ、なのである。
 態度と身長だけはデカかったようだが、足は遅い、力は弱い、敏捷性に欠ける。
 何の取り柄もない。
 特に球技なんてのは・・・。
 ソフトボールくらいは、けっこうイケてたんじゃないかと思っていたが、いつぞやの邑井氏の暴露によって、それさえ幻想であることが判明した。
 となればあとはどれもダメである。
 サッカー、バスケ、バレーボール、と大きなボールを使うものはからきしだし、小さな球を使う卓球などというのも、大学に入って何度かやってみたがどの女子より弱かった。
 要は、ドンくさいのである。

 一方勝田氏はどうだったかといえば、彼は運動部に属していたわけでもないから、まあ、たぶん私と似たようなものであったろうと思う。
 まあ、後日、本人からの反論もあるかもしれないが、まあ似たようなものである。

 その勝田氏と私は2年のとき同じクラスであった。
 で、体育でバレーボールをやるとき、チーム分けで、彼と同じチームになったことがあった。
 たぶん、6人のチームであったのだろうが、残りのメンバーに徳光君と八木君がいた。

 トクミツ君は剣道部で実に姿勢がいい。
 いつも胸を張っている。
 先生に叱られてる時だって胸を張っている。
 その威風、常に辺りを払う、といった風情である。
 が、どうも西洋起源のスポーツにおいて、そのような姿勢をよしとするものはほとんどない。
 そんな彼に低い球のレシーブなど求むべくもない。

 ヤギ君というのは、まあ、こと運動に関する限り、はっきり言って、箸にも棒にもかからない男であった。
 まあ、私、勝田、徳光の三人の運動能力を仮にヒイキ目「Bの下」の運動能力だったとすれば、八木のそれはそこからもはるか下に位置していた。
 どう見ても
  F。
 他の追随を許さぬ。 

 だいたいこの男、呆れたことに、まともにボールが投げられないのだ。
 なにしろボールを投げる時この男は妙テケリンに腕を曲げてみせるのだ。
 彼に言わせると、それは、当時巨人にいた高橋一三というピッチャーの真似だと言うのだが、あんた、それはスロービデオの映像だから腕がしなって見えるのであって、普通よりも遅い腕の振りでそんなことをやって、まともにボールが投げられるわけがない。
 そんなこともわからぬほどの、トンデモナイ運動オンチのトンチキ野郎なのである。
 そもそも、「巨人ファン」なんて時点ですでにトンチキは極まっている。
 そのくせ、この男もトクミツ君同様、「頭が高い」のである。
 曲がらない背骨の上に常に直立した頭が乗っている男である。
 しかもトクミツ君とちがって鍛えて姿勢がよいのではない。
 ただただ体が硬いのである。
 F。

 寺西、勝田、徳光、八木、こんなのが4人いたら、チームのあとの二人がたとえAクラスの運動能力を持っていたとしても、結果は見えている。
 連戦連敗。
 なにせ、八木君のところにボールが行った時点で、ボールはけっして返って行かないのだから、勝ちようがない。
 というか、私らのところでもまあ、似たような結果なのだったのだろうが、なにせ彼は目立つ。
 彼の場合、百発百中、というより「百発百外」というべきか、すべてアウト、なのである。
  あさましといふもおろか
である。

 しかし、何事にだって例外はある。
 八木君にだって奇蹟は起こる。
 私はそれをしかとこの両目で見たのである。

 そのとき彼は後衛の左サイドにいた。
 私はその隣だ。
 そんな布陣のわがチームへ敵がかなり強力なサーブ打ちこんで来た。
 それがまっすぐ八木君のところへ飛んで来る。
 八木君はけなげにも少し前傾姿勢を取り両手を固く結んでアンダーレシーブの体勢を取る。
 しかし、いかんせん、結んだのは手だけで、腕と腕の間は開いている。
 要は彼は両腕でまあるい輪っかを作っただけなのである。
 そんなものでレシーブなんぞできるわけがない。
 しかも顔は地面に垂直のままだ。
 いわゆるへっぴり腰の「アゴが出た」状態である。
 そこへボールが来る。
 彼は目をつぶる。
 と、そのとき、彼が作った両腕の輪っかのまん中から、どういうわけだか彼の曲げられた右ひざが勢いよく出て来たのである!
 なんでそんなことになったのだかは、たぶん彼自身にもわからなかったであろう。
 「片足だけの体育座り」の体勢を、立ちながらやったみたいなもんである。
 ボールはその出てきた膝に直撃した。
  あなや!
というヒマもなかった。
 膝小僧の直撃を受けたボールは低い弾道のまま、ものすごいスピードでネットを越え、敵陣深く突き刺さったのである。
 その勢いはトロイのパリスの脇腹を血潮に染めたメネラオスの槍よりも鋭かった。
  二ー・スパイク!
とでも呼ぶべきであろうか。
 コートにいた私たちはそのあまりのスピードに呆然としてしまった。
 なんだかみんな星飛雄馬に「大リーグボール」を初めて投げられた花形満になったような気分であった。
 これぞまさに、前代未聞、空前絶後の荒技であった。
 そして、私たちはその歴史的事件の証人である。

 我に返った相手チームが、何が起きたのか、その詳細を私から聞いて
  どいや!
  ほんな、ダラなっ!
の抗議してみたものの、それは得点として数えられたのであった。
 なにせ、
  膝でボールを打つ
なんてことがバレーボールのルールブックにおいて想定されていたとも思えないからである。 
 これが八木君が高校三年間に記したバレーボールにおける唯一の得点だったことは言うまでもないであろうと私は確信している。