なよたけ
この児の容貌(かたち)の清らなること世になく、屋の内は、暗き所なく、光満ちたり。
翁、心地悪しく苦しき時も、この子を見れば、苦しきこともやみぬ。
腹立たしきことも慰みけり。
― 『竹取物語』 ―
ボッティチェリかぁ。
いいなあ!
高校生だった私は、当時平凡社から、たしか「ファブリ」という名で出ていた、大型だけれどとても薄い画集のシリーズの中の「ボッティチェリ」の巻を買いこんで机の前にいつも立てかけておりました。
私がいつも机の上に開いておいたのはその画集に載せられていた「ヴィナスの誕生」のヴィナスの胸から上を拡大した画像でした。
なんと美しい!
見るたびそう思いました。
細い撫で肩の胸部から伸びる、すこし長すぎると思われるほどの首。
その上にかしげられた小さな顔。
風になぶられる金髪の巻き毛。
そして、なによりも、何も見ていないあの物憂げな目。
(勝田氏が載せてくださった『ヴィーナスとマルス』のヴィーナスはちゃんと何かを見てる目をしているけれど、『ヴィーナスの誕生』のヴィナスの目はそうじゃないですな。 その目は、断じて何も見ていない目です。)
私、いつも、うっとり眺めておりました。
世の中にこんな美しい人もいるのか!
そう思って眺めておりました。
まあ、部屋の壁にアイドルの写真を飾るみたいなものですな。
眺めてると、それだけでなんだかしあわせな気分になって来る。
で、ある時思ったんです。
なるほど、これが西洋の「なよたけ」か、と。
見ている私には何の憂いの思いもない。
勝田氏の「おたより」で、ひさしぶりにボッティチェリを見てそんなこと思い出しました。
でも、今あらためて思えば、あの竹取の翁の思いとは、実は、世のあらゆる親たちが自分の子どもを見るときの思いだったんですな。
心地悪しく苦しき時も、この子を見れば、苦しきこともやみぬ。
腹立たしきことも慰みけり。
子が生まれたとき、そう思わぬ親はいないんでしょうね、きっと。
そんなこと、高校生のときにはまったく思い及びもしなかったのだけれど。
とはいえ、自分の娘じゃなくてもこんな思いを抱かせる「美しい人」というものはおるものです!
それが、絵ではなく実際に目の前に現れたとき、それをきっと世間では「恋」というんでしょうな。