凱風舎
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スイカ

 

  こらっ、止まれ、誰か?

 

 ― シェークスピア 「ハムレット」 (三神勲 訳)―

 

 先月の末に子どもたちの中学校の合唱コンクールがあった。
 毎年の楽しみである。
 で、今年も見に行くからな、と言っていたら、前日、子供の一人が
 「せんせ、部外者を呼ばないように、って学校の先生が言ってたよ」
と心配そうに言う。
 なんじゃ、それ。
 続けてもう一人の子が
 「うちの先生は、特に塾の先生なんてのを呼ぶんじゃないぞ、って言ってた」
と言う。
 それは、それは!
 思わず、笑ってしまった。
 塾の先生で、私以外合唱を聞きに行く者がどれだけいるのかもよくわからんのだが、不思議なことを言うものだ。
 いずれにしても、当日プログラムを持っていない者は会場に入れない、と言うのだ。
 いやはや、スゴイ。

 私、学校ではなく市の文化ホールで行われるようになった合唱コンクールを二十年以上ずっと見に行っているが、突然こんなことを学校関係者が言い出すというのは、いったいいかなることであろう。
 そもそも、塾の先生が、自分の教えている生徒たちが歌ったりピアノの伴奏をしたりするのを見ることにどんな不都合があるのであろう。
 会場で私を見つけた子供ら(たいがいは女子)がうれしそうに休憩時間やって来ることがある。
 けれども、それがこれまでいかなる迷惑を与えていたのかが、私にはとんとわからない。
 わからないが、父兄ではないそのような「部外者」が学校行事を見学することを学校はよろこばないらしい。
 どうやら今のその学校の校長は、学校というものを、子どもと教師、あとは親たちだけの「閉じられた空間」として維持していきたいらしい。
 けれども、それはひどく不健全なことではないのか、と私は思う。
 この間各地で起きている「いじめ」問題の中で見えてきた「閉じられた空間」としての教室や学校の在り方と同じ不健全さがそこにあることに先生たちは気づいていないらしい。

 それにしても、入口で、やって来た者を誰何(すいか)するなんてことはよほどのことだ。
 そんなことをやるのはハムレットの城を守る衛兵たちぐらいのものだが、逆に言えばそのような閉ざされた場所だからこそあすこには亡霊が出てくるのだ。
 窓を持たぬ部屋の空気はよどむ。
 空気がよどめば、よからぬものがはびこる。
 いわゆる「原子力村」というのも、そんな場所だったはずだ。

 なんて大げさなことを考えてはいても、その日のプログラムを持たない私、実はすこし困った。
 なにせ例のポンタの直後である。
 「事件」は起こせない。
 というか、そもそも起こす気もない。
 というわけで、何か言われたらそのときはおとなしく帰ることにして、私、その日の会場に知らん顔して入って行った。
 けれど、別段入口にいた教師たちにとがめられる、なんてこともなかった。
 そりゃあ、そうだわな。
 考えてみれば、名目としては校外の者にも開かれた行事としておこなわれる催しの会場の入口で、そこに来た人をゆえなく誰何するなどというのはよほど失礼なことだものなあ。
 まともな先生ならやってられない。
 けれども、今や、会社に行っている大の大人たちが、皆、首から、まるで子どもの頃の夏休みのラジオ体操のカードみたいなものをぶら下げているのを別にヘンとも思わない社会だからなあ。
 そんな社会においては、学校行事に「部外者」の見学を許さないことなど当然なことのかもしれない。

 ところで、最後列で歌を聞いていた私の席から三つばかり離れたところにあとから座った母親が二人いた。
 曲と曲の間なにやら小さな声でおしゃべりをしている。
 ところが母親たちは演奏が始まったあともずっとおしゃべりを続けているのだ。
 なんじゃろか。
 なかなかに耳障りである。
 一向にやむ気配がない。
 うーん、彼女らは歌を聞きに来たのではなかったのか。
 うーん。

 ところで、その後、そこに「事件」は起きたのかって?
 それは、書きません。